【12.02.22】地域活性化・共生社会に関する調査会
団地再生、ユニバーサルデザインと仮設住宅など
○直嶋正行 会長 共生社会・地域活性化に関する調査を議題といたします。
「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち、「活力ある共生・共助の地域社会・まちづくり―被災地の復興に向けて―」について調査を行うに当たって、本日は「地域ネットワークをいかしたまちづくりの視点」について参考人から意見を聴取いたします。
御出席いただいております参考人は、北杜市長白倉政司君、特定非営利活動法人多摩ニュータウン・まちづくり専門家会議理事長戸辺文博君及び株式会社ユーディット代表取締役社長関根千佳君の三名でございます。
この際、参考人の皆様方に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
(以下、中略)
*註――参考人の方々の意見陳述は国会図書館の国会議事録検索でお読み下さい。
○田村智子 日本共産党の田村智子です。
今日は、質問の順番に御配慮いただきましてありがとうございます。
3人の参考人の皆さん、大変勉強になるお話、ありがとうございました。
まず、白倉参考人にお聞きをしたいと思います。
事前にいただいた資料の中に、子供たちへの教育というので学校林という取組が出ていたんです。学校の林ですね。
お話にありました、まず自分の生まれた町、ふるさとを知ること、それが自分のふるさとを愛する気持ちにつながり、そしてまちづくりの力になるというのは、本当にそのとおりだと思っていまして、やはり子供たちが自分の町に誇りを持つという上では、例えば農業とかその町の産業のことを、一回学ぶような体験だけでなくて、やはり系統的に学んでいくということが、そういうその町に対する思いやまちづくりの主体になっていくその条件をつくっていくのかなというふうに感じたんですね。
これ、一回の体験学習でなく系統的にという取組だと思うんですけれども、済みません、もし御説明いただければ、この学校林の取組を含めて、子供たちへの町を愛するという、その気持ちの育てることについて少しお話しいただければと思います。
○参考人(白倉政司君) 私たちの北杜市は、森林に心を寄せて農を基幹産業とするふるさとであることは間違いないと思います。そういう中で、さっき私も説明しました、子供たちがいろいろな意味できずなを深めたり、ふるさとを知ったり、そしてまた、ある面で言うならば、基礎体力、原っぱ教育を推進する上においては学校林の位置付けは大変面白いと思っています。ちょっと山梨県的ですけれども、山梨県には県有林というのが多いんです、財産区の。それを学校林に当てています。
簡単ですが、そんなところです。
○田村智子 ありがとうございました。
実は、日本は大変森林も豊かなんだけれども、林業とそのまちづくりというのを、これからの私たち考えていかなきゃいけないなというふうに思っていまして、一つの参考として是非お話を伺いたいと思っておりました。
それから、戸辺参考人にお聞きをいたします。
私も何度か多摩ニュータウンは伺いまして、特に公団住宅の中でのこれからのまちづくりというのは非常に様々な課題があるなというふうに感じています。先ほどDANCHIルネサンスのお話が、恐らく時間がなくて足りなくなってしまったと思うんですけれども、私もその団地に伺いますと、とにかく公団住宅の間取りは、二世帯で住居で子供を育てるというのはまず無理な間取りで、子供さんが大きく育ったら、結婚、子育ての世代になったら出ていかざるを得ない造りで、そうすれば、高齢者が出ていくか、それとも現役世代が出ていくかとなれば、若い人が出ざるを得ない。これはもう、あの間取り上は致し方ない流れが今つくられてしまっているなということを感じていました。
そこをどう、その公団住宅が、除去ではなく、やはりその町でまちづくりの役割を果たしていくし、若い人も子育て世代もというふうに再生していく上ではどのような取組ができるのかというのは大きなこれからの課題だと思っています。
先ほど話し足りなかったところも含めて、その団地の再生、まちづくりということでもう少しお話しいただければと思います。
○参考人(戸辺文博君) それでは、資料の方で、ちょっとスライドもありますけれども飛ばしちゃったものですから、資料の方の30ページといいますか、下に30と書いてある辺りを見ていただくと分かるかなと思います。
今、田村先生からも言われたように、大体50平米前後といいますか、ちょうど昭和40年代に造られたものが当時の国力といいますか、数をたくさん造らなくちゃいけないのでそういう面積しか取れなかったんですね。しばらくは、子供が小さいときはよかったんですけれども、そのうち多摩ニュータウンも50年代になって分譲住宅がどんどん供給されて、100平米を超えるようなものもできましたのでどんどんそちらに移っていっています。ただ、実際には、賃貸住宅には次の世代も入ってきていますけど、子育てが終わった世代、高齢者も当然残りますので、平均的にはどんどん高齢化しています。それから、都営住宅はやっぱりどうしても収入の関係で高齢者ばっかりになっています。
それじゃ、まだ60代が多いんですけれども、これから5年、10年で相当厳しいかなと思っているときに考えたのが、エレベーターがない5階建てですけれども、何とかその問題を解決しつつ若い世代が一緒に住めないかということで先ほどちょっと、提案をしたわけです。
普通はエレベーターを付けるとなるとすごいお金が掛かるんですが、それを北側に、プライバシーの関係で北側に廊下を造ってやるんでなくてもっと簡単にできないか。南側に付けて、南側にちょっとした廊下を付けるんですけれども、普通、プライバシーで嫌がるんですが、高齢者だったら逆に見守りになるだろうと。そこを通過して、その端の方に2戸を1戸にした100平米までいかなくて7、80平米から規模によっては100平米ぐらいのものを付けて、場合によってはそこで同居をしてもいいし、隣に親を呼び寄せてもいいというようなパターンも、いろんなパターンがこの形だとできるんじゃないかなと思って提案させていただきました。
だから、普通のエレベーター、階段を壊してエレベーターを付けてというよりは相当安くできるので、提案は評価いただきましたけれども、これでさえなかなか実験的に造るということもなくて、是非、多摩ニュータウンでこういうの1棟やってどんなものかというのを実証できれば、これが一般化するという、こういう形のものは何十万戸とございますので、全国に展開できるんじゃないかと思っております。
これでコミュニティーも、例えば、先ほど御紹介が仮設住宅でありました。これが南側に付きますと、北側から出入りする建物とペアにするとそこで出会いが、またほかの棟との出会いも生まれるんですね。そういうことも考えた提案でございます。
以上です。
○田村智子 ありがとうございました。
最後に、関根参考人ですけれども、大変ユニバーサルデザインが生かされた実例というのが本当に全ての人に対して住みやすい、使いやすい、そういう町や施設になるんだということがよく分かりました。
御紹介あった平田の仮設住宅、私たちも視察で先日伺いまして、せめて玄関が向かい合わせということぐらい今後は仮設住宅造る場合には、これはやっぱり、仮設住宅仕様の、何ていうんですかね、これを守りなさいというルールにすべきじゃないかなということは感じたんです。もう一歩いえば、その玄関の上に屋根が付いていたらもっといいなということは確かに思ったんですが、これがなかなかできない背景に、ユニバーサルデザインというのは余裕があったらやればいいとか、試験的に行ってみればいいという位置付けにまだなっているんじゃないだろうか。もっと、本来は、憲法にもある基本的人権にかかわる問題としてもっと位置付けるべきではないかというふうに考えているんですけれども、その辺の御意見と、それからこれぐらいは公的施設ではもはや義務化すべきではないかとお考えになっていることがありましたらお答えいただければと思います。
○参考人(関根千佳君) ありがとうございます。
本当におっしゃるとおりで、せっかく私たちは阪神・淡路のときに、せめて玄関が向かい合っていれば、隣のDANCHIルネサンスと同じで、ちょっとしたときに周りの人がそこを通りかかることによって、ああ、今日は何かもしかしたらおばあちゃん起きていないのかななんていうことが分かるようなコミュニティーの中での仮設という概念を出せたのに、そのことを私たちはしっかり阪神・淡路で学んでいたのに、どうしてこれが東北のときに間に合わなかったんだろうかという深い反省がございます。
おっしゃるとおりで、これからは仮設を造るときに、コミュニティーを何とか維持するための仮設というもの、こういう意味で、私たちがこれからもう日本だけじゃなくて世界に対しても、せめてデッキから真っすぐ部屋に入れるようにしようよという最低限のアクセシビリティー、ユニバーサルデザインを義務化していくというのは是非お願いしたいと思います。
それと、先ほどのリハビリテーション法508条のように、あれはICTですけれども、公的機関が購入する様々な調達物資をなぜユニバーサルデザインのものに統一することができないのだろうと思って、私は大変不思議に思います。
例えば、この建物に車椅子の参考人が来る可能性もあるでしょう。学校におじいちゃん、おばあちゃんがいわゆる、そうですね、参観日にやってくることもあるでしょう。そして、全ての公民館や学校はいつか避難所として使われる可能性もあるわけですね。そのときには、私たちは震災で眼鏡を吹っ飛ばされているかもしれない、手足にけがをしているかもしれない、テンポラリーな障害者になっている可能性も十分あるんですから、なぜ、そこにそういう人々が集まるにもかかわらず、今学校がまだ小さいところは努力規定になっているのか、私には全く分かりません。旅館も同じです。たくさんのものが避難所になった。でも、2千平米以下は残念ながらまだ努力義務です。しみじみ思います。
ほかの国、例えばアメリカでしたら、ADAのように障害を持つアメリカ人法、そして高齢者、高齢のアメリカ人法というもの、これ1965年ですよね。そういった人権法が何十年も前に成立している。どうして先進国日本でそれがないのかと思うと、私は非常に不思議な気がいたします。
是非この辺り、人権の意識だけではなくてビジネスの観点からも、地域活性化の観点からも、ユニバーサルデザインを義務化するような方向性で進んでいただけると私はこの国で安心して年を取ることができます。
よろしくお願いします。