コラム
【13.03.01】国民所得の底が抜けた状態を痛感しています
予算委員会の質問への意見・反響に思うこと
生活保護引き下げについてとりあげた、たった8分の質問に、メールやはがきが寄せられています。
「こんなに反響がある質問は初めてかな」と、秘書のみなさんと、意見の一つひとつを読んでいます。
「3人家族で1週間7000円の食費は多すぎる(あるいは7000円は普通)」という意見。
「私の家庭はもっと少ない食費で、生活保護は受けていない」
「保護を削るのは当然ではないのか」
覚悟していた反響です。
そういう意見が届くことは、世相をみれば想定内。
それでも哀しい気持ちになります。
何よりも、国民所得の底が抜けた状態が、こんなにも放置されてきたことがつらい。
住んでいる場所や、一人ひとりの生活環境によって、1日1000円の食費の意味はだいぶ違うでしょう。
「私も」という方の生活が困窮していると決めつけるのは、失礼かと思っています。
東京23区から八丈島(東京都です)に移住した方は、「お金はほとんど必要ない」とお話していたことを思い出します。
「だいたいみんな畑を持っているからね。物々交換で野菜は足りる」
余談ですが、この話を聞いた時、都市部よりもむしろ生活のなかみは豊かなのだと思えました。
そういう前提ではありますが、1日1000円足らずの食費、それで十分だ、とは私にはやっぱり言えません。
旬の果物、今でいえば、いちごは近所のスーパーで安売りでも280円です。
旬の魚、たとえばさわら、2切れで400円〜500円はするでしょうか。
牛乳は1リットルで160円〜200円ぐらい。
豆腐屋さんの豆腐は、大きめの1丁が180円です。
(もっと安売りの店があるともいわれそうですが、生産者のまともな収入を考えて、公正な価格での買い物を当たり前にしたい。
そうでなければ、ワーキングプアの再生産になってしまいます。)
こういう買い物を私も2日に1回はしています。
昨日の我が家(4人家族)の晩ご飯は、肉じゃが、なすの天ぷら、ブロッコリーとキャベツの塩麹あえ、豆腐となめこの味噌汁、作り置きのふきの酢の物。
庶民感覚からはずれた贅沢な食事だとは思いませんが、外食する昼食をのぞいても、1日1000円には抑えられない食事です。
世界一物価の高い東京都に住んでいることも一因とはいえ、1週間の基本的な買い物を7000円以下に抑えなければならない生活を当然だと、政治家が断言することはとてもできません。
どうしたら、家庭科の教科書にあるように、エネルギーになる食品、血や肉になる食品、身体の調子を整える食品を、バランスよく採ることができるか。
どうしたら、同じ食材ではなく1日30品目とは言わないけれど、色々な食材で四季を感じながら食事をすることができるか。
とくに子どもたちが、味覚を育て、身体を育む食事をとることができるか。
そこに懸命にならなければと思うのです。
働かずして証券を持っているというだけで巨額の富を得る人、
労働者の使い捨てに汲々としてきた大企業の会社役員、
ここへの富の集中が続いています。庶民から吸い上げるかのように、一番の富裕層の所得は膨らんでいます。
一方に、働いても食費さえ切り詰めなければならない人たちがいます。
私は、この現実こそ是正したい。
そしてもう一つ。
全額税金の政党助成金を受け取って、家族で1日1000円の食事に思いも至らない政治家が、ぎりぎりの生活を「贅沢だ」と言い放つことは絶対に許せない。