日本共産党 田村智子
コラム

【13.02.01】代表質問からみえてきたこと

安倍総理の答弁は世論を怖れているのか

安倍総理の所信表明演説への代表質問が終わりました。

日本共産党からは、志位和夫委員長、市田忠義書記局長が登場。
経済政策、原発問題、TPP、日本軍「慰安婦」問題での発言など、真正面から論戦を挑んだ胸のすくような質問だったと感じたのは、私だけではないでしょう。

東京電力福島第1原発の事故を「予言した」と言われた、2006年12月の吉井英勝衆院議員(当時)の質問主意書。
大地震と津波による全電源喪失によって、原子炉のメルトダウンが起こる危険性を的確に指摘していました。
対策が必要ではないかという質問項目に、ことごとく、そのような事故は起きないという見解を示したのが、第1次安倍内閣だった。

志位委員長がこの問題を指摘すると初めて、「お詫び」を口にした安倍総理。
どんなに謝っても、取り返しのつかない、そういう事故を起こしたという自覚があるのか都、重ねて問いただしたい思いです。

「お詫び」を口にしながら、参議院での原発問題での答弁は、あまりに無責任なものでした。
「福島の原発をどうするか慎重に検討する」――これはどういう意味か?福島県内の原発までも再稼動の対象ということか?
「安全基準を責任をもってつくる」――福島第一原発の事故への責任もとれないあなたが「責任」などという言葉をどうして使えるのか。

経済問題。
雇用破壊、賃金破壊こそ、日本の景気後退の要因だと、志位さん、市田さんともに厳しく追及。
ところが、企業が利益をあげれば雇用も改善し、賃金もあがるという答弁。
市田さんの質問では、1997年比で、企業の経営利益は1・63倍、労働者の賃金はマイナス12%と指摘したのですから、「答えになっていない」といえるでしょう。

マスコミも注目したのは、日本軍「慰安婦」問題での答弁。
安倍総理が「見直し」が必要だと固執している、「河野談話」がどのようにつくられたのかを示しての質問でした。
強制連行を示す文書がないことを前提に、現地での聞き取り調査が行われ、その結果「強制があった」と認めての談話だった。
文書がないことは、「見直し」の理由にはならない。

答弁で反論はありませんでした。
当時の官房長官の談話だから、私が話をするのは適当ではないという答弁。
逃げたとみることもできますが、これは「勝負あった」に等しい答弁でした。
参議院でも同じ答弁があり、私は「国会で言えないことは他でも言うべきじゃない」と不規則発言。
公の場で、「強制はなかった」=本人の意思で商売として行っていた、という恥ずべき見解は口にすることはできないのです。

この答弁は、安倍さんを熱狂的に応援した「右翼」的な勢力からも批判の対象となるでしょう。
右からも左からも批判をされ、どういう対応をすることになるのか、今後の激動を予感させます。

こうした答弁をみていて(聞いていて)考えることが多々ありました。
選挙後の威勢のよい発言はかげをひそめた。
「慎重」なのか、参議院選挙が終わるまで本性を隠すのか、それとも実は小心者なのか。
議席で多数を占めていても、国民世論を怖れているのは明らかです。

民主党の議員の質問についても一言。
全体として、総選挙での敗北の原因が何かを総括できていない印象ですが、おやっと思える質問もありました。
国防軍への批判、憲法改定への危惧、少人数学級の実現を求めるなど、要求での一致点を感じる内容が含まれていたのです。
そういう共感できる質問には、私も「そうだ」と声をあげ、拍手をしました。
国会のなかの要求での共同を新しくつくっていく、私も殻を打ち破るつもりです。