日本共産党 田村智子
コラム

【12.12.19】今年も厚労省前の座り込み

北風よりも冷たい政治への熱い抗議

 
総選挙投開票日の翌日、結果をかみしめる暇もなく、行動を起こす高齢者のみなさん。さすがです。
17日から19日昼まで、昼夜を徹して霞ヶ関に座り込む。
「毎年恒例」になっている、全国老後保障地域団体連絡会(老地連)のみなさんの座り込み行動です。

18日に続いて、19日の終結集会にも参加しました。
ダンボールで囲った交差点の角。断熱の知識も回を重ねるごとにグレードアップしたとはいえ、日が沈んでからの寒さは身にこたえるはずです。
「通し参加の人もいるのよ」とのこと。

すぐそばには、屈強な体格の男性。
警察の方が、何かあってはいけないと、時々見回りに来てくれるそうです。

終結集会で、私も短時間ですが座り込みました。
一緒に座ると、なんだか旧知の仲のような気持ちになって、打ち解けた話ができるから不思議です。

「この行動はいつから始まったんですかね」(私)
「ここ最近は2001年から続けての行動ですね」
「もともとの始まりはかなり以前ですよ。え〜、1970年代初めだったかな」
「その頃は、私達も高齢者じゃなかったからね…」
「国際高齢者年に呼応して始まったんだと思いますね」

日米安保条約の改定めぐる運動、公害問題など、70年代に国民運動が大きく広がった時代に、高齢者運動の象徴的な行動として始まったようです。
(どなたか歴史をご存知でしたら、メールで教えてください。)

私は2009年に初めて参加したのですが、その頃にはもう毎年12月の半ば過ぎに取り組まれていました。
70年代に始まったころは、1年に2回、3回と座り込んだ年もあったりとか。
その後、しばらく途絶えていた時代もあったようです。

2001年から毎年の行動になった――「構造改革」で「痛み耐えろ」と、小泉元首相が叫んでいた時代です。
初めての年金実額の引き下げ、これは高齢者のみなさんにとって衝撃となりました。
その後の、老齢者控除の縮減、医療費窓口負担の増大、そして後期高齢者医療制度のスタート。
雪崩をうつように、高齢者への負担増が始まった――この政治の流れに歯止めをかけるべく高齢者自ら立ちあがった、いや、座り込んだ、ということですね。

昼夜通しての座り込みは、官庁街では「異様な」光景。
「なぜこんな行動をしているのか、聞かせてほしい」という男性がきたそうです。
「私は無年金。一体この先どうやって生活したらいいのか」という生活相談もあったそうです。

高齢者のこの怒りは、実は、現役世代の方々の要求にもつながるものだと私は考えています。
社会保障財源は、所得税収・法人税収の落ち込みを回復させないことには、どうにもならないのですから。
現役世代の取得の落ち込みに対策をうつ、物が買える、売れる、つくられる状況にしていく以外に道はないのですから。

来年の国会では、この問題が大議論になることでしょう。
否、大議論にしなければなりません。