日本共産党 田村智子
コラム

【12.11.24】難病・慢性疾患全国フォーラムに出席

オープニングのダンスと合唱に涙腺が…

 
雨の中、全国から難病や慢性疾患の患者さんたちが東京に集まりました。
第3回全国フォーラム、今年は日本経団連の新ビル、日経ホールが会場。
地下鉄・大手町駅から雨にぬれることなく、きれいな地下道とぴかぴかの建物内の通路で移動できました。日本経団連の建物だものなぁ…。
患者のみなさんにとっては、この移動通路は助かりますよね。

席につくとオープニングのダンスが始まったところ。
ダウン症や知的障害をもつ子どもたち、高校生以上の若者たち、汗が飛び散るかと思うほどの熱演でした。

舞台袖近くには、踊っているメンバーのお母さんと思われる方の姿。
涙をうかべて子どもたちの姿を見守っておられるのが伝わってきました。
オープニングの最後は合唱。
「友達はいいもんだ」を会場のみなさんも一緒にどうぞとよびかけられて、私も本気で歌いました。
心ひとつに歌っている実感があって、もう歌い始めから涙腺が…。

続いて患者・家族の訴え。
胆道閉鎖症、クローン病、関節リウマチ、ウェルナー症候群(早老症)の患者さんが代表して、病気のこと、生活上の困難など率直に話されました。
私はこのフォーラムの初回から3年連続参加しています。
病気のこと、想像をこえる患者さんの生活実態などを知ることができる貴重な場です。

クローン病の男性の方は、私と同世代。
大学卒業時に発症し、病気を隠して働き続けたことで自分を追い込んでしまったと、話をされました。
クローン病は、内臓などに散発的に肉芽種ができ、消化器官の閉塞をもたらす難病。
治療は大きくなった腫瘍を切り取る以外にない。
この方は小腸を何度も切りとったために、自宅で毎晩点滴をして、生きるのに必要な栄養を摂取しているといいます。

病気であることを話せば就職できないかもしれない、その不安から病を隠して働き続けた、限界で仕事を辞める時にも最後まで病気のことは言えなかった。
好きな仕事だった、職場のみなさんもいい人たちだった、それだけに自責の念が今も消えない――
現在は別の会社で、病気のことを伝えて働いている。
その報告が希望でした。

300とも400ともいわれる難病。
患者のみなさんの一番の願いは、治療法を早くみつけてほしいということ。
そして、今の生活を支えてほしいということ。

今、厚生労働省では、難病対策の新たな枠組みを検討中です。
56疾患しか、研究補助対象(医療費支援の根拠)になっていない。これを大きく広げる方向です。
しかし一方で、現在支援対象の方で「軽度」の方を対象からはずす、現在医療費負担のない重症患者にも一定の負担を求める、という案も検討中。
予算額がどうなるかで、枠組みの持つ意味が変わってしまうのです。

私は3分のあいさつのなかで、「一方をひろげて一方は切り捨てるということのないように」と祈るような気持ちで訴えました。
会場には厚生労働省の担当官も、新たな枠組みを検討する審議会のメンバーも参加していたのです。

難病・慢性疾患の患者さんは、同じ病気の患者さんで団体をつくっています。
3年前、全国フォーラム2010は、病気の違いをこえて患者団体が連帯して初めての企画を成功させました。
毎年開いてほしいという要望にこたえて、2回、3回とより広い会場で開催され、そのたびに新たな賛同団体を広げてきたのです。

当事者のみなさんが病気の違いをこえて連帯して、総合的な支援策を求めている時に、政治はこれにどうこたえるのか。

あいさつの最後。
今、難病や慢性疾患で苦しんでいる人がいるから、その人たちのために支援をする、ということではない。
難病はいつ誰がかかるかわからない。私にも起こり得ること。
そういう病気を発症した時に、社会全体で支える仕組みをつくることは社会保障制度としてとても大切なこと。

これは、難病患者の1人、大野更紗さんが書いた『困っている人』を読んで気付いたことです。
おそらくほとんどの難病患者の方が、「なぜ自分が」と思い詰めた経験があると思います。
患者さんは、みんな私と同じように、学校に通っていたり、働いていたり、結婚して家庭を持っていたり、いわゆる普通に暮らしていた方々なのです。
私にも起こり得ることとして考える、国会の中にそういう議員をぜひ増やしたいと思っています。