日本共産党 田村智子
コラム

【12.11.05】黙っていられない! ハンセン病療養所の深刻な実態

ハンストをも覚悟した入所者のみなさんの叫び

 
ハンセン病療養所で暮す元患者のみなさんが、「人間の回復を」とハンストまで決意してたちあがりました。

「いまハンセン病療養所のいのちと向き合う! 〜実態を告発する市民集会〜」
全国から元患者のみなさん、支援者のみなさんら500人が集まりました。
私も、この日の昼過ぎに集会の案内をいただき、急きょ参加しました。

全国のハンセン病療養所で、何が起きているのか、報告・告発の一つひとつにうちのめされました。
「人間であって人間でなかった。やっと人間になれたと思ったのに、11年間、厚生労働省に裏切られ続けた」
ハンセン病の問題は、実態として解決していなかった!

11年前に、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(通称「ハンセン基本法」)が制定され、隔離生活を強制されたみなさんは、これでこれからは人間として生きられると確信していました。
この法律の11条には「国は、医師、看護師及び介護員の確保に努める」と定めていて、療養所の環境も改善される、高齢化がすすむもと、故郷を奪われた入所者も安心して穏やかな日々が送れるのだと信じたのです。

ところが、国家公務員削減の閣議決定は、療養所を例外としませんでした。職員は増えるどころか減り続け、今、人員不足が深刻になっているというのです。
職員は退職者不補充で減少の一途、配置されるのは非正規職員で低賃金・期限付きの働き方。労働条件・労働環境の悪化は、入所者のみなさんを直撃しています。

感覚マヒのある身体、治療もせず労働をさせたことで手足の変形・障害を多重的に持つ方がほとんど。
知覚マヒによる火傷・誤嚥の防止も必要。
日常生活の支援がどれだけ大切かは、容易に想像できます(その想像をこえる現実が多々あることでしょう)。

以下は、市民集会決議からの抜粋です。
「職位の不足から食事の介助が十分にできないため、誤嚥性肺炎で亡くなる入所者が激増しています。
夜中に排尿のためコールしても職員が来てくれない、失禁しそうになって自力でトイレに行こうとして転倒、骨折したというケースも沢山生じています。
どんない夏い日も、どんなに寒い日も入浴は週3日と決められているというのです。
認知症と診断された入所者は、土曜、日曜日になると人で不足で昼間から睡眠薬を投与されているという報告さえなされているというのです。」

群馬県栗生楽泉園の谺雄二(こだまゆうじ)さん。
マイクを持つ手に指はありません。左手は義手です。
厳寒の群馬の山中で、患者自身が丸太を手渡しで谷から運び上げ、まき作りをさせられたと言います。
けがをしても痛みがわからないのが、ハンセン病の特徴。傷が悪化し、手も足も指は失われていく、変形する。
病気のために不自由な身体になったのではなく、まともな治療もせず、入所者に自給自足ともいえる生活を強制したことが、障害をつくったのです。
自分では食事をとることも困難にさせられたみなさんが、介助者を減らされたら、どんなみじめな生活になるか。
「私たちはまた人間として認められずに棄てられるのか、消滅を待っているのか」――魂の叫びです。

谺さんは友人の手紙を持って参加されました。
介助が困難という理由で、「不自由舎」(障害が重く介護が必要な方の入所棟)を出るようにいわれ、本人の意に反して病棟にうつされた。
元の入所棟には妻もいる、俳句の仲間も多数訪ねてくれる、元の住まいに戻してほしい。
人生の最期を穏やかに友人に囲まれて迎えさせてほしい。

 
どんなに厚生労働省に声を届けても、国家公務員削減という閣議決定の壁が崩れない。
ならば、命をもって、今一度人間の回復を訴える――
ここまでたたかう決意をしている入所者のみなさんの姿に、とにかく涙があふれて仕方ありませんでした。

ハンストを決意している1人、玉城シゲさん94歳。(写真中央)
74年間、療養所で生活し、子どもも奪われた。その苦しみ・悔しさはどんなに年月が経とうとも決して消えない。
私たちは人間であって人間でなかった。今また、人間として認めないのならば、ハンストをやめるわけにはいかない。

支援者の方からは、こんな国でいいのか、私はとても恥ずかしいという訴え。
「80代、90代の方々にハンストさせるような国であってはならない」
その通りです。
12月、厚生労働省前に座り込んでのハンスト、療養所でのハンストを決行させてはなりません。命を削る抗議行動にまでいたらせてはなりません。

一人ひとりの訴えが、どんどん胸に積もっていって、涙がとうとうあふれました。
嗚咽をあげそうになりながら、懸命にメモをとっていました。
集会から帰って、最近始めたフェイスブックに、メモを起こして、最後にこう書きました。
「どうか、広げてください。知らせてください。みなさん、力を貸してください。」

直後から、私の写真とメモが何人もの方のフェイスブックに拡散していきました。
拡散された写真とメモに次々とコメントが書き込まれていることもわかりました。
思いを広げて、行動を広げて、政府の態度を変えさせる――
どうか、みなさん、力を貸してください。