日本共産党 田村智子
コラム

【12.10.04】双葉町の避難先を訪ねました

放射能に追われた町の苦悩を目の前にして…

 
「事故収束だなんて、どうして言えるのか」
「放射能の影響があるか、ないかは、今わかるはずがない。5年、10年かけて調査して、初めて影響について何かわかってくる」

原発事故で町ぐるみで埼玉県加須市に避難した福島県双葉町。
町役場と避難所となった、旧騎西高校の校舎を訪ねると、井戸川克隆町長は東電政治への怒りを終始にじませて話し続けました。

放射能に追われるようにして避難して1年半。
避難所で今も186人の方が生活し、福島県外で生活する方は約3300人、県内には約3600人(それぞれ10月初めの人数)、まさに町はバラバラの状態に。

旧校舎の廊下には求人票が張り出されています。ほとんどがパートなど非正規の仕事。
埼玉県加須市にいつまで居住するのかもわからない、これからどういう生活設計をすればよいのか見えてこない、この状態での就職は苦悩に満ち満ちているでしょう。

「私達がこういう状況に置かれていることに、東電や国は本当に責任を感じているんですかね」と町長。
これまでの災害と同じよう枠組みでの支援では矛盾が大きすぎるのです。
なんとしても町民の命とくらしを守ろう、という施策がみえてこない。

町役場にとっては、これまで当たり前に行っていた様々な業務が、ことごとく壁にぶつかり日々目の前の問題をどうするかで手がいっぱいの様子。
「これから町をどうしていくのかを考えなければならない、そうわかっていても、業務量が多すぎる。企画するゆとりが失われている」――保健衛生の担当の方の声です。
国に相談しても高飛車で、実態として相談にのってもらえているとはいえない状態とのこと。

矛盾の一つとして象徴的なのが、避難所の生活です。
校舎での生活は、今も、腰の高さより低いダンボールでスペースを区切っただけの状態です。
本格的に仕切ると「避難所ではない」と政府からいわれてしまうから、だそうです。
これでは子どもさんがいる家庭など、長く生活を続けられるはずがありません。
避難所を出れば、食費・水光熱費すべて自己負担。「公平性」という問題が生じてしまい、避難所の食事は有料化せざるをえなくなり、有料化したとたんに申し込みが減り、糖尿病や高血圧の方の食事の申し込みも大きく減ってしまったそうです。

避難所は一時的なもの、という従来の災害の枠組みになっていることが根本的な問題です。放射能汚染でいつ自宅へ帰れるか全くめどがたたないのに、「一時的な避難」での対応をしていたら、こうした矛盾が次々にあらわれるのは明らかです。

この苦悩をどうしたら解決していけるのか――私もお話をお聞きしながら、正直なところ出口のみえない迷路に入り込んでいる気持ちになりました。
それではいけない。できることから、何か一つでも動かさなければ。