コラム
【12.10.01】葛飾区制80周年の記念式典に参加
山田洋次監督、漫画家の秋本治さんが名誉区民に
10月1日は「都民の日」。東京都内の公立学校は休日です。
学生時代、都内で生まれ育った同級生が「えっ、大学は休みじゃないの?」と本気で驚いていたことを思い出します。
東京市が一般市となり、東京府知事の統轄から東京市制度を確立したのが1898年10月1日だったのが由来だとか。
葛飾区もまた、80年前の10月1日に区制発足。記念式典に招待されました。
国会議員が4人も居住する葛飾区、来賓として自民(小選挙区選出の衆院議員)・民主(比例復活の衆院議員)・公明(区内居住の参院議員)に加えて、共産党の私。
4人ともあいさつするので、都議や区議のみなさんは紹介だけで、恐縮してしまいます。
お祝いの場のあいさつ、政治家だけど政治を前面に出すわけにもいかない、一方で政治のゆき詰まりは深刻。
さあ、どんなあいさつをするか、これがなかなか難しい。
全国比例の選出ですから「なぜこの議員が来賓?」と思われる方もおられでしょう。
そこで、お祝いの言葉に続けたのは…。
「葛飾区に住んで19年目になります。二人の子どもを区内の保育所、小学校、中学校に通わせてきましたから、私も区政の恩恵にあずかってきた1人です」
「葛飾区は全国に先駆けて、小中学校へのクーラー設置、中学卒業までの子ども医療費無料化を実現しました。それが、全国の自治体に広がっています。葛飾区政がくらし応援にとりくんできたことを実感しています」
「区内を歩くと、町工場で冷蔵庫の部品、醤油のびんのさし口、靴やカバンなどがつくられています。身の回りの生活必需品のなかにメイドイン葛飾がたくさんある。かと思えば、大きな橋の鋼材をつくるオンリーワン企業もある。
そして地域密着の商店街が元気に、私達の暮らしを支えてくれます。
子どもたちは、身近に働く人たちの姿をみて育っていく。
こうしたことが、下町の人情、あたたかさにつながっているのだと思います」
「区内の産業の発展、葛飾の力をのばすことを妨げる政治であってはならない、そうした力が豊かに育つ土壌をつくる、そういう政治でなければないけない、そのことを肝に銘じています。
葛飾区が100周年に向けて、ますます発展しますことを心から祈念して、お祝いの言葉といたします」
わが町への愛情は伝わったかな…。
行間にある消費税増税で地域経済の力を奪うのは言語道断という決意は、くみとってもらえたかな…。
式典では、初めて名誉区民の称号授与が行われました。
初代名誉区民は4人の方々。
染色家の小宮康孝氏(人間国宝)、映画監督の山田洋次氏、日本画家の福田千恵(せんけい)氏、そして漫画家の秋本治氏。
演壇をはさんで舞台の上手に4人が並びました。
山田洋次さんを間近で見られるなんて!(私は、山田監督作品では「学校2」が一番印象に残っています。)
「ミーハーだな」と自省しつつも、気持ちが舞い上がってしまいました。
4人の方々の一言がすばらしかった。
小宮康孝氏――開口一番「あたしは何もしていないんですよ」
14歳の時に、父親に弟子入りし、70年以上、藍染一筋に歩んでこられた。
江戸時代からの伝承の染型を今に伝える、職人の中の職人です。
「型は紙職人にお願いし、染は染屋さんにお願いし、あたしは何もしていなんですよ」
山田洋次監督――寅さんの生まれ故郷をどこにするか、東京の下町をずいぶんあるいたそうです。柴又帝釈天の参道で「ああ、ここだ」と直感したとか。
満州生まれだという山田さん、「私には生まれ故郷とよべる故郷がないので、柴又の町が私の故郷だと思っている」
福田千惠さん――「今日は95歳の母といっしょに参りました。あそこに母がいるんですよ」
女性が絵の道で歩むには、男性とは違う次元のご苦労があったことと思います。それをしっかりとお母様がささえてこられたのでしょう。
秋本治氏――テレビで「寅さん」を見た時に、「葛飾柴又」の地名が台詞になっていることに衝撃を受けたそうです。自分の住む町の名前がこんなふうに全国の人に知らされる。プロの漫画家になった時、自分も町の名前を書き込みたいと強く思い、編集者の反対をおしきって「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という異例の長いタイトルになったとのこと。
時代と空間をこえたつながり、一つの作品が全く違う別の作品を生みだす、なんだか感動しました。
願わくば、記念写真を名誉区民のみなさんと撮りたかった…。
本当に残念なことにそういう時間がありませんでした。
私の仕事は、地域限定のものではありません。
けれど自分の住む町、生まれた町への静かな思い入れは大切に持っていたいと思います。