日本共産党 田村智子
コラム

【12.09.22】97歳、党歴62年の大先輩とツーショット

世田谷区内で「秋の集い」にて

 
京王線千歳烏山駅をおりると、大変な賑わい。
お祭りでもあるのかと思ったら、今日はお彼岸の土曜日。お墓参りの方々だと、地元のたぞえ民夫都議にお聞きしました。
関東大震災で被災したお寺が移転して寺町をつくったとのこと。そういう地域が東京にはいくつかみられます。

地域の党後援会が主催する「秋のつどい」に、第1部の弁士の1人として招かれました。
会場には、手作りジャムがたっぷりとのったフランスパン、チーズやチョコレートのお菓子。これはビールよりワイン向き?
楽しくアットホームな「つどい」の予感です。

地元の里吉ゆみ区議、2才7ヶ月の子どもさんをだっこして、準備に司会にと大奮闘。
第1子の男の子、お母さんのだっこが大好きなんですよね。我が家もそうでした。
(子どもは知恵も力もつき、体重も増えて、母親は体力も気力とも求められる時期。里吉さん、がんばれ〜!)

「つどい」では、私が消費税問題中心に国会報告、続いて、たぞえ都議のお話。
尖閣諸島をめぐる石原都知事との議会論戦も紹介されました。
石原都知事が「尖閣を東京都が買う」と言い出したことが、中国にとっては火に油を注ぐ結果となってしまった。
都知事の真意、狙いはなんだったのか。軍事的対応を誘導する意図があったとの指摘に、なんという人物を都知事にしているのかと、悔しくまたはずかしくなってきます。

中国政府との話し合おうとしない日本政府の対応に、わが日本共産党は立ち上がりました。
志位委員長が、「日本政府が、領土を問題は存在しないという態度をとり続けていては、自縄自縛ではないか」と官房長官に意見を直接伝え、歴史的経過を説明し、領土問題の解決の外交努力をすべきと求めました。
さらに駐日中国大使と面談。中国での暴力的行為をいさめ、尖閣諸島をめぐる歴史的経緯を説明して、冷静な話し合いを行なうよう求めたのです。
街頭で勇ましい言葉ばかりを並べて立てている、自民党タカ派のみなさん、それでは問題は解決しませんよ!

演説会のような第1部に続いて、第2部は懇談と文化行事。
私もせっかくの機会なので、テーブルをまわって、みなさんからお話を聞く時間を持ちました。
そのなかで、たっぷり話し込んだのが、車椅子で参加してくださった高齢の女性。

「転んで骨折して入院していたの」という話から始まり、「私は党歴62年。三鷹事件も知っている」と話が続きました。
沖縄出身のMさん。赤貧の生活のなかで苦労して苦労して尋常小学校に通い、なんとか卒業して、産婆さんになり、その後は日本軍に連れられて「満州」で看護助士のように働くことに。
沖縄に引き上げると、アメリカ軍による支配。米軍兵士による女性たちへの暴行。わが身もいつ危険にさらされるか…。
夫ともに密かに本土に渡ったそうです。

話し始めたら止まらない。波乱万丈の人生に、私もしばし聞き入りました。
話の切れ目にお聞きしました。「おいくつになられましたか」「97歳。選挙がまたあるからがんばってよ。私はもうおまけの人生だから、若い人にがんばってもらわんと」
そういう目はきらきらしていて、生涯現役という意志が伝わるようです。

みなさんとの交流で、こういう出会いがあるのが嬉しい。
日本共産党ってすごい党だよなと、つくづく思います。
あんまり嬉しくて、私からお願いして、記念写真を一枚撮らせていただきました。

日本の歴史をつむいできた大先輩、その歩みを受け継いでいるんだと実感します。
この国の歴史が自分につながっている。
日本共産党員となったことで、時代を変えよう、政治を変えようと社会に働きかける生き方を知りました。
今日につながる時代を切り開いてきた先輩たち、それを受け継ぐ私たちの世代、その後にもっと若い人たちが続いている。1人の人生は1人だけのものでなく、脈々と時代をこえてつながっていく――こんなふうに思いをめぐらすと、私は未来にとっても希望がわいてくるのです。生きていくことが楽しくなるのです。