コラム
【12.07.02】内部被ばくの被害を覆い隠すのか
厚労省の「黒い雨」調査報告書(案)に異議あり
広島から原爆被害者のみなさんが、党本部に来られました。
70代、80代の高齢の身ながら、そして様々な病気をかかえながら、原爆被害を認めるよう日本政府への運動を続けるみなさんです。
原爆投下から67年もの歳月を経て、いまだに被害者の認定をめぐって、政府への怒りの行動が続いている――驚くべき事実です。
原爆、核兵器をめぐる日本政府の姿勢、対応、見解、知れば知るほどにこの国の政治の暗闇を見せつけられる思いがします。
黒い雨――広島の原爆投下直後、猛烈な爆風と気圧の変化で巻き上げられた地上の様々なものが、黒い雨となって降り注いだ。この雨の後、川や池では魚が死んで浮き上がった。
雨をあび、水をのみ、魚や畑の作物を食べて、内部被ばく。
この方々も当然、被ばく者として、健康診断の対象となり、病を発症すれば医療費助成の対象になると思っていました。
ところが…。
この雨の範囲を以上に狭くとらえて、その範囲の外に住んでいた人は、健康診断の対象外、病を発症しても原爆が原因とは認められませんでした。
「毎日新聞」が「中国新聞」の記事をもとに、「黒い雨」の降雨地域について地図を掲載しています。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/21/761a6326bed68b79e01fdd964a1655ed.jpg
この地図の赤い線の内側だけが、被爆者として認める範囲なのです。
爆心地から南西へわずか数キロ離れただけで、内部被ばくの被害を認めない。
雨の記録は、戦時下で気象のデーターが隠ぺいされていたために、戦後の研究によって推定されたもの。
気象学者は異議を唱えています。
黒い雨降雨地域から離れた場所での土壌調査で、原爆由来と推定されるセシウムの存在も確認されています。
東京電力の原発事故を経た今、放射性物質が広範囲に拡散されることを私達は体験してしまいました。
それでもなお、内部被ばく被害を認めないのか。
国の広範囲の原爆被害調査は70年代に入って、やっと始まりました。
しかし、この地域に黒い雨が降ったかどうか、口をつぐむ住民も少なくなかったと、懇談のなかで、女性たちが話してくれました。
「結婚できなくなる。黒い雨が降ったと言ってはダメ」――当時、保健婦さんがそう周知徹底したというのです。
50年、60年の時を経て、自分の健康被害は原爆と関係があるのでは、苦しい胸のうちを語り始めた。
広島市は予算をかけて、気象学者、物理学者などの専門家のチームで、地域住民への聞き取りをふくめ詳細な大規模な調査を行ってきました。
広島県、広島市周辺の自治体も繰り返し、国に被害地域の見直しを要望。
これらが厚生労働省を動かし、「原爆体験者健康意識調査報告書」等に関する検討会がつくられました(2010年12月)。
ところが…。
「内部被曝をふくめ放射線による健康影響はない」という前提にたった報告をまとめようとしているのです。
体験者の健康被害も、精神的な健康状況の悪化にとどめ、それすら「誤認・誤解」によるものだという。
原発事故への国民の不安、福島県民をはじめ被害者への今後の賠償への対応につながる見解です。
(今年5月29日に発表された「原爆体験者当健康意識調査報告書」等に関する検討会報告書案)
この検討会、現地調査もやっていません。
物理学者は一人もいません。
広島市が行った調査が妥当なものかどうかの検討に終始して、いわば市の報告書に難癖をつけたようなもの。
被害者を二重三重に冒とくしたやり方に、検討会を傍聴したみなさんがどれほど傷ついたことか。
これは過去の問題ではありません。今日の政府の課題、看過してはなりません。
「原発は事故を起こすはずがない」「内部被ばくで数十年後の健康被害などありえない」――根っこは同じと思えてなりません。
戦後、身体の調子が良かった時などない。
妹も弟もガンで他界、自分も子宮ガンで卵巣摘出したという女性。
戦後50年以上を経て、大腸がん、胃がん、リンパのガンが次々に見つかる。心臓も脳梗塞も…。身体に鞭を打つように「被害者の線引きを認めるわけにはいかない」と立ち上げる。
「私達に残された時間はわずかだ」「政府は、証言できる原爆体験者がいなくなるのを待っているのか」
大飯原発の再稼働に黙っているわけにはいかないと、行動・発言する人が膨らみ続けています。
原爆被害を過小評価してきた政治にも、黙っているわけにはいかない――この立ち上がりをつくること、決して不可能ではありません。