日本共産党 田村智子
コラム

【12.06.19】「私達は負けながら勝っている」――障がい者支援の新法を

自立支援法の改正法案が採決

黒い雨雲が台風の接近を伝える、午後5時過ぎ。
参議院の議員面会所には、車いすの方、盲導犬を連れた方、障害者自立支援法の出直しを求め続けたみなさんが、次々に集まりました。

わずか3時間弱の質疑で採決された、障害者自立支援法等の改正法案、このやり方、法案の内容に憤懣やるかたない、けれど、ここからが新たな運動の始まり。
そういう思いが満ち満ちた表情です。

今回の法案(通称 障害者総合支援法)に反対した、日本共産党、みんなの党、社民党の質問時間は15分ずつ。
参考人質疑も行わず、午後1時半に趣旨説明、5時前には反対討論も終わって採決。
その瞬間、傍聴席には抗議の声がわき起こりました。
2010年12月の自立支援法改正法案の審議を思い出しました。あの時は、「自立支援法反対」と声を上げ続ける障害者の方の姿に、委員席で涙をこぼしました。
今度は、「私が泣いてどうする」と、こぶしを握りしめ、委員会室をにらんでの採決でした。

どうして当事者の声を聞いた徹底審議をおそれるのか。
障害者自立支援法を制定した時は、解散総選挙をはさんだとはいえ、参議院の質疑時間は約30時間でした(参考人質疑を含む)。
自立支援法に代わる、障害者支援の新法だというのならば、当然、同じように審議の時間をとるべきではないのか。参考人質疑も行うべきではないのか。
新法といいながら、自立支援法の一部手直しであることが、この審議のやり方でも明らかです。

自立支援法は、障がい当事者と支援を行う事業所に、大変な困難と混乱がもたらされました。
利用者への原則1割の費用負担と、事業所への報酬日払い制度は、その最たるものでした。
また医療費補助も大きく後退。心臓病などの子どもさんの治療費も、自己負担が大幅に増えてしまいました。
すさまじい批判、繰り返される抗議行動、生活支援・就労支援の利用については、相次いで負担軽減策がとられました。
しかし、日払い制度も医療費負担も、自立支援法の制度のままです。これが新法といえるのか。

今後の検討についても、当事者の意見がどう反映されるのか、不透明なままです。
どんな生活支援や就労支援をどれだけ受けることができるか、その指標ともなる「障害程度区分」が「障害支援区分」に改定される。
ところがその制度設計については、当事者の意見を反映すると条文にかかず、答弁でも約束しませんでした。
これまでのデーターなどの分析で決めるというのです。

「障害程度区分」には、様々な問題があります。
130項目をチェックして、データー化してコンピューターで判定するような仕組みでいいのか、という、根本的な問題が提起されています。
以前、重度の障がいを持つ子どもさんのお母さんは、こんな話をしてくれました。
「作業所に通うようになって、うちの子どもはこんなこともできるようになった、これもできるようになったと、娘の成長を実感することが多かった。自立支援法になったら、あれもできない、これもできない、×を子どもにつけているような気持になる」

「これができないから、こういう支援をしましょう」ではなく、
「こういう生活を希望する、それにはこういう支援が必要」という逆転のとらえ方で制度設計することが、切実に求められているのです。

3年後の法の見直しも、どういう体制で行うのかは示されませんでした。
当事者が過半数の検討会がつくられるのかどうか。
自立支援法の出直しのために当事者過半数の総合福祉部会がつくられ、新法の「骨格提言」も定めた。しかし、これを法案化することはできなかった。当然、批判が巻き起こった。
同じように当事者が多数加わった検討会は、もうつくりたくない、ということか。
自民党議員の質問では、当事者を多数加えることは、「公平性に欠く」という発言まで飛び出しました。

こうした審議を委員会室で、あるいは中継で、つぶさに見ていた皆さん。
法案への不満、障害者自立支援法違憲訴訟の原告団との約束を守らない民主党政権への怒り、そして、あまりに短時間の審議への憤怒。
しかし、みなさんには悲壮感、落胆の表情はありません。

議員面会所での集会で、最後に発言したのは、障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)事務局長の太田修平さん。
ふりしぼるように一言一言を、ゆっくり、そして力強く話されました。
「私達は負けることが多い。けれど、負けながら勝っている」――なんと素晴らしい言葉か!
長い長い運動を経ての言葉です。その重さに、決して負けない、前進するという決意に、そして道理に貫かれた展望。

外は風も吹き始め、いよいよ台風がやってくる気配。
そういえば、2010年12月の時も、季節外れの台風が通過した日でした。
これは怒り嵐、そして、新しい時代到来の嵐にしなければ。