日本共産党 田村智子
コラム

【12.06.14】軍事訓練はどこで行えばいいのか

質問のメールをいただきました

6月12日の陸上自衛隊レンジャー訓練について、
*地方でならば市街地訓練を行ってもいいということですか、
*東アジアの国際情勢から、国防のためにこうした訓練を行うのは当然ではないですか、
という主旨の質問メールが届きました。

大切な問題提起ですので、私の考えをもう一度、整理して書いてみようと思います。

軍事訓練を市街地で行うことは、日本のどこであれ、私は反対です。
(海外の市街地訓練はあってはならないことですから、地球上のどこであれ市街地での軍事訓練反対、ということになりますね。)

同時に、首都圏での訓練実施は、「人口密集地で軍事訓練ができたのだから、日本全国どこでも実施できる」という、市街地訓練の拡大につながるのではないか。
たとえば、「東京でだってやったんですよ。この町は住宅も商店も、歩行者や車の交通量も東京ほどではないでしょう。問題は起きませんよ」というように。

もうひとつ、人口密集地で行えばアピール力は絶大。
自衛隊の軍隊としての役割を見せる、軍隊として国民に許容させる、ことにつながるのでは。
現行憲法では、自衛隊は「軍隊」ではありません。
しかし、レンジャー訓練の実態をみて「これは軍隊ではない」と説明されたら、「えっ、これ軍隊じゃなければ、何? 軍隊でしょ」と思いますよね。
日本国憲法は「陸海空軍」を「保持しない」と明記しています。
まず国民に軍隊を許容させ、そして憲法も変えて、本当に軍隊を持ち軍隊が活動できる国にしていく、その思惑に私は黙っているわけにはいかないのです。

東アジアの現状から、「国防のために軍事訓練をやるのは当然」という意見もあるでしょう。
周辺国が軍事力を高め、これみよがしにミサイルなどの軍事パレードを公開する。
「日本は何もしなくていいのか」「攻撃されたらどうするのか」という不安。

まず事実の問題として、レンジャー訓練は他国からの侵略を想定しているとは言い難い。
訓練の内容を詳しく紹介するものを私もいくつかみました。
敵地に侵入し、潜伏しながら敵の基地に接近し、その基地を奪取する。
こうした内容を想定した訓練が大規模に展開されています。
だから、食糧も水も供給が困難という状況で訓練を続けます。
のまず食わずで何日も山中に潜伏する、闇にまぎれて前進する、という行程もある。
突然襲い掛かってくる敵と白兵戦をする。素手やナイフで敵を殺す訓練もある。

ベトナム、イラク、アフガニスタンなど、どこに「敵」が潜んでいるかわからない異国の地での軍事作戦。
アメリカ軍が経験してきたことと重なります。

今、防衛省は「動的防衛力」ということをさかんにアピールしています。
日本を守るためには自ら海外で軍事行動をとる、「やられる前にやる」――まさにイラク戦争・アフガン攻撃でのアメリカ政府の考え方です。
イラク戦争、アフガン攻撃、民間人の犠牲者はいったいどれほどの規模になったでしょうか。
アメリカに安全が確保されたのか。自国の兵士が今も精神を病み、自殺者は過去最高、この事態をどう考えるか。
日本政府は「動的防衛」を言う前に、イラク戦争、アフガン攻撃を直視し、その総括を行うべきではないかと思います。

隣国の脅威を不安に思う気持ちはわかります。
だから、侵略させない、ミサイル一発も撃ち込ませない、そういう政治が日本に求められていると考えます。
それが軍事力なのか、外交力なのか、その両方なのか、これは大いに国民的に議論する時だと思っています。
どれが正しいか、ではなく、どういう道を選択するか、ということ。

「自国の軍事力の強大さ=防衛力」なのか、私は疑問に思っています。
戦国時代の国内事情はそうだったかもしれません。城や兵士の規模を大きくみせる、同盟を結んでより強大な兵を持つことが、国を守ることにつながったかもしれません。
米ソ対決の時代もそれに近いかもしれません。軍事同盟にどれだけの国を組織するか、核弾頭の数をどれだけ持つかの競争。
しかし、それは平和ではなく核戦争への脅威を高めただけでした。
ソ連崩壊後、またイラク戦争後、国際社会では別の道を選択する努力が始まっています。

日本が中国に侵略戦争を開始した時も、「この国が気にいらないから」「この国の土地やエネルギーがほしいから」という理屈は、国際社会では通用しませんでした。
満洲国という傀儡政権をつくり、満洲に日本人を大量に移住させ、その安全を守るという理由で軍隊を大量に派遣し、自ら起こした鉄道爆破事故を理由に大規模な軍事行動を始める。
おおざっぱにいうと、そういう自作自演をしなければ軍隊を進めることはできなかったのです。

フセイン政権下のイラクがクウェートに武力侵攻、これを国際社会が許さず、経済制裁で足並みをそろえた。
この頃から、どのような理由であれ他国の主権を侵す軍事行為に、国際社会が共同して強い反対の意思を示すようになったと、私はみています。
経済制裁から湾岸戦争になってしまったことは、とても残念です。
けれど湾岸戦争では武力でイラクを抑え込むことに賛成した国々も、イラク戦争には賛意を示さなかった、これも、武力をめぐる国際社会の変化です。

では日本の防衛とは?
第1に、武力侵攻の口実をいっさい与えないこと。
一番の効力は「日本は戦争をしない、国際紛争の解決手段として武力をとらない。外交努力によって紛争を解決する」という立場を鮮明にすることだと考えます。
どの国とも戦争しない、どの国に対しても武力攻撃を行わない。
このことを世界のすべての国に宣言し、その立場を堅持する、さらに、他国に対しても同じ立場をとるよう積極的に働きかける。
そういう日本に、どの国であれ攻撃をしかけたら、国際的に完全に孤立するでしょう。
日本に武力侵略した国に未来はありません。

本当は、日本国憲法は、今、私が上に書いたことを日本政府に求めているのですが…。
国境問題、拉致問題、戦後処理の問題、日本がすべての隣国と問題をかかえたままというのが異常なこと。
はたしてその解決に、日本国憲法の立場で、外交努力をしてきたか。
北朝鮮との対話が途絶えているのは、周辺国のなかで日本だけです。

それでも、国家ではなくテロ集団などの攻撃があるかもしれない。
日本でも70年代、ビル爆破事件、ハイジャック事件が相次ぎ、当時まだ政治も社会問題もわからない私でも恐怖心をいただきました。
こうしたテロ行為に、日本は戦車も自衛隊も出動させることはありませんでした。
警察力で解決したのです。(ハイジャックは、政府が亡命による逃亡を認めるなど、禍根を残しましたが。)
テロもその根源を断つための努力とともに、現段階では、警察が国民の命を守るためには銃も保持することが必要でしょう。

シリアで起きている事態を見ると、内戦状態をどうしたら解決できるのか、
目の前で軍隊による虐殺が行われている時、どうしたらいいのか、私も答えが見えません。
武力衝突は起きてしまったらとりかえしがつかない。
だからこそ今から、武力を徹底的に否定し、様々な問題を解決する外交活動を懸命に繰り広げる。
武器の供給で大きな利益をあげる産業を厳しく規制する。武器の輸出、流通をストップさせていく。
核兵器の使用・貯蔵・実験・開発研究をすべての国に禁止する国際協定を実現する。
やることは山ほどあると思います。
政府の立場でなく、野党としても、一人の国民としても、できることはあると思います。
私は、そういう生き方を選択しています。

メールいただいた方への、私なりのメッセージです。
異なる意見はあるでしょう。激動の時代ですから。
だからこそ、日本の未来をどう選択するか、これからも考え、対話を重ねたいと思っています。