コラム
【12.04.12】ウガンダ記その5
現地で活躍する日本人のみなさんと
ウガンダ在住の日本人のみなさんとの交流も、日本代表団の活動です。現場を訪ねたり、夕食会で懇談したり、いくつかのスケジュールが組まれました。
4月3日、IPU会議は討論での意見、提出された修正案の調整をはかる日。
会議日程としてはブランクの日となりました。
この一日を活用して、午前・午後と2ヶ所の視察が組まれました。
午前9時訪ねたのは、首都カンパラ市内のフェニックス社。
ウガンダと最もゆかりのある日本人、柏田雄一さんが経営しています。
大阪の繊維会社に勤めていた柏田さん。戦後の繊維輸出拡大の時代に、初めてウガンダを訪ねたといいます。
Yシャツをウガンダでも作ってほしい――
この要望にこたえて、柏田さんは、ウガンダに工場をつくったのです。
紡績からシャツ製造(Tシャツ、ポロシャツ、デザインシャツ等々)まで全て行なう工場。
ウガンダ在住歴50年、職人を育て、産業を興した人としてウガンダで知らない人はいないといわれています。
(私の隣が柏田雄一さん。後方右から村田吉隆さん、大西健介さん、衆議院から派遣)
「綿から糸や布を製造して輸出するだけでは、付加価値がつかず、ウガンダの収益をあげることは困難。製品にして販売すれば、利益が大きいし、地元の雇用も増える」
こうしてつくられた工場は、その名もフェニックス社。
ウガンダが内乱状態になったときには、工場の機械も破壊され、再開は困難と誰もが思ったそうです。
けれど、フェニックスの名の通り、いくつもの困難をのりこえて今日にいたっているのです。
工場内を案内してもらいました。柏田さんの地元、大阪で研修したという、工場の責任者イノセントさんの案内です(なんて素敵な名前。柏田さんいわく「名前の通り、純粋無垢な男です」)
中国からの安い製品におされて苦戦しているという工場。
紡績の棟では、天井の電灯がほとんどはずされていて、ぎりぎりの経費節減の苦労が伝わってきます。
(一番の原因は、電力事情が安定せず、いつ停電になるかわからないということだと思いますが。)
糸をつむぎ、糸を染め(何色でもOK)、シームレスの円筒の布に編む、もちろん全て機械化されています。
手作業は、ミシンがならぶシャツ製造の広いフロア。
女性たちがわき目もふらずに、一心にミシンに向かっています。
女性のみなさんは、それぞれ個性的な服装。ウガンダの「衣」文化は実に魅力的です。
直営の販売コーナー、様々なデザインのTシャツを次々に手をとり、お土産として何枚も購入してしまいました。
「オーガニック・コットンですよ」と柏田さん。
やわらかな肌触りに、思わず笑みがこぼれます。
午後、訪ねたのは「あしながウガンダ」のレインボーハウス。
日本のあしなが育英会が、海外にいくつかの活動拠点を持っていることを、不勉強で知りませんでした。
ウガンダでは、HIVで両親を失った子どもの学校を、日本の若者たちが中心になって運営しているのです。
孤児となった子どもは、親戚にひきとられることが多く、家を失うことはまずない。
しかし、学校に通えず、一家の働き手になってしまうことも多々あるといいます。
ウガンダは義務教育で、公立学校での教育に力を入れていますが、制服や学用品には費用がかかります。自分の子どもならば負担できるが…という事情。
「あしながウガンダ」の若者たちは、地域をまわり、孤児となった子どもの情報をつかみ、レインボーハウスに通うよう、育ての親を説得する。
この活動は今は地域で認知され、孤児の情報が地域の「長」から寄せられるようになったそうです。
子どもたちに与えられるのは、学習だけではありません。
朝食・昼食も小さな台所で調理して提供するとのこと。
これが、孤児の通学の応援になるのです。
経済的にゆとりのない家では、レインボースクールに子どもを送り出せば、それだけ食費が節約できる、というわけです。
ウガンダ料理のマトケ(バナナを蒸してつぶしたものですが、甘くないさつまいもマッシュみたいな味)を思い出し、「マトケを提供するんですか?」と質問。
「まさか! マトケはここでは高級料理ですよ。とうもろこしの粉をお湯でといだポリジを出しています」
う〜ん。日本でいえばおかゆでしょうか。そうかマトケは庶民にはご馳走なんだ…認識の甘さを思い知らされます。
授業の様子も見学しました。
英語で算数を習う低学年の子どもたち。一クラス20数名、積極的に手を上げる姿が気持ちよい。
高学年は、英語の授業を中断して、歓迎の歌を披露してくれました。
日本語でドラえもんの主題歌も。もちろん一緒に歌いました。
記念写真を撮ろうと、教室から外へ。
1人ひとりをハグすると、ぎゅっと腕をまきつけてくる子どもも。
胸のうちははかりかねますが、思わず私も腕に力が入って、なんだか涙がこみ上げそうになりました。
高学年の男の子ははにかんで、ハグの輪には入ってきません。息子の小学生時代を思い出して、クスリと笑ってしまいます。
同行した参議院の国際会議課のホープNさんが、帰りの車中で、子どもたちとの集合写真をカメラの画面で見せてくれました。
きっと今までで一番いい笑顔だったのでしょう。
日本の大学生や若者たちが、この子たちのお姉さん、お兄さんになって、ここに住み、子どもたち1人ひとりの成長と幸せに寄り添っている。
すごいなぁ、脱帽です。
日本人やるじゃないか、嬉しさがこみあげきます。
レインボーハウスの卒業生数人が、今、日本の大学に留学中とのこと。
卒業してウガンダに帰ってきてくれるか、スタッフは期待と不安の真っ只中。
わくわくしてきます。どんな若者がここから巣立っていくのか。どんな未来をつくるのか。
翌4日の夜、現地で活躍するJICAの方々と、夕食会で懇談しました。
農業の技術開発のほか、ウガンダの理科教育プログラム開発や障害児教育プログラム開発の事業に携わる方も参加してくださいました。
教育プログラムの開発、初耳でした。
みなさん、ウガンダの自然の豊かさ、人のあたたかさ、そしてゆったりとした時間の流れにほれ込んでいる様子。
異なる文化をお互いに認め合い、多面的な技術や文化を享受しあう。
「日本が先進国で、ウガンダは援助しなければならない国」という考え方ではなく、ある国の発展に自分の能力や技術、経験を役立てることができるのでは、という思い。
日本の中で、日本社会のことに専念するように活動してきた私にとっては、視野を大きく広げる、貴重な経験となりました。
同時に、日本でなにを学び、何を経験し、どんな問題意識を持つか、それが海外での活動の土台になるのだと確信しました。
日本でがんばる意味の深さ、しっかり胸に刻みましょう。