コラム
【12.02.14】陸前高田、大船渡、釜石での2日間
調査会視察で他党の議員とともに
参議院の共生社会・地域活性化に関する調査会で、2月13〜14日、岩手県の沿岸部へ視察に行きました。
調査会というのは、参議院の独自性のある活動。
一つのテーマで3年かけて調査活動を行い、各党とも共通する問題意識で政策や提言をまとめるのです。
朝8時前に東京駅を出て、岩手県内陸の一ノ関駅へ。
沿岸部は鉄道が完全復活していません。駅舎も線路も流されたままのところが残されています。
内陸部からバスで約2時間かけて、まず向かったのは陸前高田市。
県立高田病院の再建をと、昨年7月1日に独自の視察をしたことを思い出します。
見覚えのある光景が目の前に広がりました。
陸前高田のみなさんが直面する困難をまざまざと見る思いでした。
津波の直撃を受けた高田病院、市役所、海岸沿いのホテル、すべてそのままだったのです。
半年前は、がれき撤去の重機とトラックが砂埃を上げていた。
今は道路機能が回復している。
しかし、流されずに残った鉄筋の建造物は、いまだ取り壊すこともできずに建ち続けているのです。
広大な何もない土地に、破壊された構造物が残されている…
臨時庁舎は、半年前はプレハブ1棟だったのが、3棟にまで増えていました。
戸羽市長さんはあごひげをたくわえておられました。休む時間もない激務だろうと思うのですが、精悍さをましているようでした。
これまでの調査会では、被災地でのコミュニティの再構築について、参考人の意見をお聞きする機会が何度かありました。
そのなかで、女性・若者の意見をどう生かすかが大切な観点だと、問題提起されていました。
戸羽市長に、このことをお聞きしました。
「私自身は若者との意見交流の場はあり、自分たちの意見をもっと聞いてほしいという声も聞いている」、市長自身が若手といえる年代ですから、若者たちも意見を言いやすいのでしょう。
「しかし」と市長。
市の地域ごとの説明会など、各家庭代表1名というと、その家の年長の男性(おじいさん)が出席するのが当たり前の土地柄だというのです。
若者もお母さんたちも、入る余地がない。
年長者を尊重するという文化、それはとても大切な地域の財産です。
新しい町づくりが求められている時、年長者を敬いつつ、すべての世代、男女がどう力を発揮するか、ここで新しい挑戦も求められているのでしょう。
現場の行政機関のみなさんも、おそらく同じ問題意識をもっているのだと思います。
若い市の職員さんがやけに大きくうなずきながら、市長の答えを聞いていましたから。
行政機関だけでない、外からの刺激、視点、指摘、それが良い変化をもたらすようなことができないか…直接、国や国会が手出しをする問題ではないだけに、私たちにとっても「こうすれば」という答えがあるわけではありません。
陸前高田市は、新しい町をつくるのだから、障害者にも高齢者にも本当にやさしい住みよい町を最初からつくることを、復興計画にしっかりと位置づけています。
だからこそ、若者や女性が、計画づくりから参加したら、本当にすばらしい町が再建されると思えるのです。
現実は、何もなくなった前の市街地を日々見続けなければならない毎日でしょう。
だからこそ、何度くじけそうになっても必ず支えていく、たくさんの手が、政策が、制度が何度でも必要なのだと思います。
大船渡市へ
7月にたどったルート同じ、陸前高田市から大船渡市へ。
「おおふなと夢商店街」と名付けられた、仮設商店街を視察しました。
駅舎が流され線路だけになった大船渡駅のすぐそば。ウッドデッキがぬくもりを感じさせるプレハブの商店街(写真上)。
商店街の方にお話しを聞きながら、店を外から見るだけでは物足りなく、一人二人と店の中に向かう調査会のメンバー。
私もブティックであたたかいインナーを買いました。
思ったより岩手県が寒くて、明日はもう少しあたたかい服を着たいと思っていたのです。
元の商店街は、すぐそば。
仮設店舗の一つ、田村スポーツの看板も、駅があったという場所の向こう側に見えました。
(下の写真。土手の上は大船渡の駅だったところ。その向こうに田村スポーツの建物)
仮設店舗は最初の一歩、本格的な復興までの道のりをしっかりとともに歩まなければと思います。
釜石市へ
二日目、沿岸部には私たちが宿泊できる場所がなく(ボランティアの方、作業の方が優先ですから)、北上市からやはり8時前に出発となりました。
釜石市、私は初めて訪ねる被災地です。
漁港に近づくにつれて、「これは…」と言葉を失いました。
2階まで津波に打ち抜かれた民家、商店が、更地や再建された建物にまじって相当数残されているのです。
いつ倒れてもおかしくない、壁がくずれてきてもおかしくない、危険だからでしょうブルーシートで側面を覆った建物もありました。
第3次補正で本格的な予算執行が始まったから、復興庁ができたから、どんどん復興がすすみますという状況ではないのだと思い知らされました。
たくさんの宿題、課題を見出しました。
現場の困難を知ることにもっと貪欲にならなければ。その中から何をなすべきかが見えてくるはずです。