コラム
【12.01.21】最近観たいくつかの映画の話
ホロコーストを記録し続ける欧州
昨年から今年にかけて、映画をよく観るようになりました。
そして最近わかったのは、夫も同じだったということ。
ある日の晩ご飯。「『ステキな金縛り』は面白そうだし、割引券があるから観に行きたい」と私が何かの拍子に話すと、
「それなら、この前観た」と夫。
あら、「映画は途中で寝てしまうから」と、気乗りがしない態度だったのに。
そんな心境の変化があったならばと、お正月には夫婦で映画に出かけたりしました。
(実は子どもたちを誘っても、「行ってらっしゃい」と振られてしまい、「タンタンの冒険」を夫婦2人で観たのです…。)
昨年夏の「黄色い星の子どもたち」に続いて、「サラの鍵」も、フランス政府によるパリでのユダヤ人一斉検挙がとりあげられていました。
前者は歴史を再現し、後者は現代と時間軸が交叉しながらの作品です。
パリの競輪場に収容されたパリ在住のユダヤ人。その壮絶な光景はどちらの映画も、フランスの負の歴史から目をそらすことなく再現されています。
「サラの鍵」では、今の時代の雑誌の編集者が、当時を知るフランス人に取材するという場面も。
競輪場に隣接するアパートに住む老婦人。「収容所になって何日かたつと、自宅の窓をあけられなくなった。ひどい汚臭だった」
トイレも使用禁止、水道も止めた状態。人間性を打ち砕く仕打ちを何日間も続け、あげく、家畜用の建物に移送して隔離。
男たち、女性たち、子どもたちと3回にわけて、「絶滅収容所」に移送したのです。
収容所に入れられたユダヤ人の多くは、自宅を持っていました。
押収された家に、フランス人が移り住んでいた。
現代の我が家が、かつてユダヤ人家族の所有物であったことを知った女性が、その歴史をたどるというストーリー。
今の私達に戦争の歴史が直結している――戦慄さえ覚える映画でした。
イギリス映画「善き人」は、ドイツでナチスに協力させられていく一般市民の姿が、静かに描かれます。
ヒトラーに批判的だった文学者が、気がつけばナチスの幹部となり、「絶滅収容所」創設に深く関わっていた。
彼は出世したかったのでもなく、ただ自分や家族の幸せを考えていただけ。
柳の枝が風になびくように、時流に逆らわなかった、異議を唱えず沈黙した、それが何をもたらしたのか。
予告編では「アンネの日記」もあらためて映画化されるとのこと。
日記に綴られなかった、検挙後のアンネとその家族の姿を伝えるものだそうです。
これは、ぜひ子どもと一緒に観たいと思います。字幕だけでなく吹き替えもあると、と思える作品がいくつもあります。
欧州の映画界の中には、ホロコーストの歴史を何度でも現代に刻むという決意があるのでは。
私にはそう思えます。
ひるがえって私達の国、日本はどうか。なぜ現代に「山本五十六」なのか。
南京大虐殺、日本軍「慰安婦」、強制労働、他の民族を抑圧した歴史を刻む作品は、いまだに上映が困難なほどに激しいパッシングを受けるという現実。
あまりにも世界から取り残されてはいないか…。
今年は日本共産党の創立90周年。
他の国、他の民族を抑圧していた時代に、日本のなかでその誤りを告発し続け、壮絶な弾圧にあった日本人たちがいた。
その歴史までをもしっかりと見つめ直した時、戦争の歴史を語ることは、決して「自虐的」ではないことが明白になるのではと思うのです。
日本の映画の力も信じたい。
私が観たい映画は、こういうシリアスなものだけではありません。
「ロボジ―」観たいですねぇ〜。「はやぶさ」の映画も。
あともうすぐ上映がおわってしまいそうですが、ソフィー・マルソー主演の「マーガレットと素敵な何か」。
間もなく通常国会が始まり、時間に追われる日々となりますが、時間をみつけて映画を観て、また映画の話もしたいと思います。