日本共産党 田村智子
コラム

【12.01.16】参議院東京選挙区に吉良佳子さんが挑戦!

浅からぬ縁の私も記者会見に同席

来年の参議院選挙、東京選挙区に一番乗りで名乗りをあげる記者会見に同席しました。
「きらきら☆」をキャッチコピーにして、前回の都議選(豊島区・定数3)であと一歩まで追い上げた、吉良佳子(きら・よしこ)さん、現在29才。
参議院選挙は30才以上が立候補の条件ですから、最年少の候補者です。

記者会見での彼女の発言。3分ほどだったと思いますが、凛とした決意と品性がしっかり伝わりました。
超氷河期といわれた就職難の時、自分も60社もの企業をまわり内定をえられたのは1社。
同期の学生の多くが、就職先が決まらないままに卒業しなければならなかったこと。

今の若者が抱える将来への不安、苦悩は、やはり自ら就職活動を経験したからこそ、痛いほどにわかるのでしょう。

就職した企業は印刷会社。彼女の担当は、企業の報告書作成をプロデュースすること。
「私たちの企業は、こういう社会的貢献をしています」というPRです。

そこで虚実を目の当たりにする。よい報告書をまとめるには、企業に社会貢献への関心をもってもらうことなしにはできません。
片手間で、世間体で「社会的貢献」をアピールできればよい、という姿勢が垣間見えたことも少なくなかったでしょう。

政治が毅然と企業にものをいい、社会的責任を果たすためのそこから逃れられないルールをつくる、そのための参議院への挑戦です。

こういう決意、実は、私は何年か前から、直接話をして聞いていました。
吉良さんとは浅からぬ、いえ、実に深い間柄なのです。

民間企業で働いていた吉良さんに、「退職して、都議選に挑戦してほしい」と話をした1人が私。
早稲田大学第一文学の先輩でもあり、また当時は参議院選挙の候補者でもあり、東京の党の役員でもありました。
個人的に知り合いだったわけではありませんが、それでは、私が、豊島の共産党と彼女の話し合いの場に加わりましょう、ということでした。

人生に関わる話をするわけですから、真剣勝負です。
彼女がなぜ日本共産党に入ったのか、今の仕事でどんな役割を果たしているのか、その人生を聞きながら、生き方をともに考えるという話し合い。
一度の話で終わるはずもありません。

「候補者に」という提起をどう受け止めるか、それが、話し合いのきっかけになります。
20代の彼女が、正面から受け止めて、真剣に考えて悩んでという状況がひしひしと伝わる時間でした。

その数時間で、「吉良さんって芯のある人間だな」と感心しました。
突然の要請に戸惑いや不安を口にしても、逃げるような姿勢、私たちの話をかわすような姿勢は、一切感じられなかったのです。
退職を決意するというのは、本当に大変なことだったと思います。給料も激減したことでしょう。
それでも、愚痴めいたことは一切なく、はじけるような笑顔でのびのびと活動する彼女は、まさに「きらきら星」でした。

都議選後、また縁がありました。
私が参議院比例候補として活動を始めてすぐに、彼女が随行秘書として、活動のほとんど全てを一緒にすることになったのです。

米軍基地の調査では、首都圏の基地だけでなく、一緒に沖縄県にも行きました。
悪天候のもとで、辺野古の海を訪ね、海岸沿いの基地をまわり、さらに普天間基地、嘉手納基地もまわりました。
一生懸命メモをとって私と同じ立場で事実をわが身に焼き付けていました。

東京選挙区は、私が2007年に議席獲得にいたらずに、参議院選挙始まって以来、日本共産党の議席が空白となった選挙区。
その悔しさ、自分が責任を果たせなかったという思いは、以来、私の胸のうちから消えたことはありません。

あの時、他党から当選した議員の何人かは、今、同じ厚生労働委員会のメンバーです。
「こんな質問するために議員になったの?」と感じてしまう質問もあり、あの時、自分が議席に届かなかった悔しさがこみ上げるときもあります。
なんとしても取り戻さなければならない東京選挙区の議席。

吉良さん、困難はいろいろあるけれど、一緒に挑戦しよう!
衆議院の議員・予定候補者も、参議院も、東京都の仲間、全国の仲間、みんなで本気の政治革新にとりくもう!