日本共産党 田村智子
コラム

【12.01.13】ちょっと時期外れですが…お節料理のこと

「赤旗」掲載の「新春随想」について

「赤旗」首都圏版に、国会議員のエッセイ「新春随想」が断続的に掲載されてきました。
このエッセイ、書いたのは少し前のこと。
年明け、大門美紀史さんのエッセイからスタートして、それからなかなか自分のものが掲載されず、やきもきしていました。
テーマにしたのが「おせち料理」。七草粥まで食べてしまって、時期外れになるのでは…と。

1月12日、やっと掲載されてほっとしました。
どんな「新春随想」だったか、短い文章なので再現します。

 初めて生まれ故郷を離れて新年を迎えたのは結婚した翌年、20年近く前のことです。
 大阪・堺市の夫の実家。体調を崩していた義母に代わって、お節料理を準備をしていたのは義父でした。料理の本を読み込み、だしも丁寧にとって、時間をかけて料理する姿に、何か手伝いをと思いうのですが…。料理の種類も味も、長野と大阪ではかなり違い、味見さえわからない、盛り付けを手伝うのが精一杯でした。
 
 大晦日の夕方、盛り付けを終えると、「涼しい場所に」とお重箱やお皿を玄関先に運びました。実はこれが私にとって一番のカルチャーショックだったのです。

 私の実家では、31日に大急ぎで作った料理(新巻しゃけをゆでた物、田作り、紅白なます、黒豆やひたし豆、数の子、八つ頭などの椀物等)を、なんと紅白歌合戦を観ながら食べていたのです。お節料理は年越しに食べるもので、「そのうえ年越しそばなんて、どうして食べられるんだろう」と、ずっと疑問に思っていたのです。
 
 実家は紙や文具等の卸商。かつては1月2日の初荷も盛大に行なっていたとのこと。短い休日を目いっぱい活用するための我が家だけの風習だったのかもしれません。
 
 お正月料理は、土地の違いで食材も味付けも、そして食べ方も千差万別。雑煮ひとつでも話に花が咲き、郷土自慢を語り合えることでしょう。
 
 今年は、全く違う環境で新年を迎えた方が大勢おられると思います。いつもの雑煮を作りたくても、食材がそろわなかったという方もおられるでしょうか。せめて、故郷の正月料理のことをいっぱい語って自慢しましょう。そして一緒に力をあわせて、それぞれの故郷を必ず取り戻しましょう。

このエッセイに、東京在住のMさんから「全く同様のカルチャーショックを受けた思いがあります」というメールをいただきました。
以下、Mさんのメールから。
――そもそも信州では大晦日の大宴会を「おとしとり」と呼んでいました。父親は「昔は数え年だったので家族全員の誕生日を祝うのだ」と言っていました。

私の実家も、「お節」ではなく「お年とり」の料理だったのですね。
あわせて、広辞苑で、「年取り魚」「年越し蕎麦」などの由来も調べていただき感謝です。

今年の3が日は、小諸にも行くことができて、私の実家の家族も久しぶりに全員集合。
正月に顔を合わせるのは私が10数年ぶりでした。
このエッセイのことを話したら(ちなみに長野県では掲載されませんが…)、弟から「それはお年とりだからでしょう」と言われてしまいました。
あんこがはいった餅を白みその雑煮に入れる地域もある、その方がカルチャーショックだったよ、と弟の弁。

実は私、今日にいたるも、真面目に年越し料理、おせち料理を作ったことがなく、そもそも我が家の流儀はなにかも不明のまま。
今年の年末は大阪、長野のいいとこどりで、我が家なりの料理に挑戦しようかと、新年を迎えたばかりなのに考えています。