日本共産党 田村智子
コラム

【12.01.04】賀詞交歓会のスタートは葛飾区

今年もよろしくお願いします

春を呼び 春を迎える2012年

いただいた年賀状への返信にしたためている一言です。
全国比例で選出されている私は、日本中どこにも、自分から年賀状を出すことはできません。
返信も「手書き」と決められているため、新年の大仕事です。

手書きの良さは、その人に伝えたいことで内容を変えられること、そして、住所を書くことで日本のあちこちに思いをはせられること。
筆や筆ペンを楽しめること。自分の字の拙さを自覚しつつも、筆の感触はなんともいえず心地よいものです。

三が日があけると、年賀状書きというデスクワークから、メインは外回りの仕事へ。
スタートは葛飾区賀詞交歓会でした。

我が家の在所は、葛飾区堀切。江戸時代からの名所、堀切菖蒲園の近くです。
区内には、国会議員がなんと4人もいるのです。
衆議院には、小選挙区の自民党、比例復活の民主党の代議士。
参議院には、住まいが葛飾という全国比例の公明党の議員と私。
賀詞交歓会にもそろって出席となりました。

あいさつでは私が最後になります。
こうした場を何度も経験している議員のみなさんには、党派・立場は違っても学ぶことは多々あります。

4番目にあいさつの私。
仮設住宅で新年を迎えた方々のことにもふれて、あいさつしました。

「今年は少し複雑な思いで新年を迎えました。
寒さが厳しいことがわかっている東北で、なぜ断熱材も不十分、畳も敷かれていない仮設住宅がつくられたのか、寒さの中で新年を迎えなければならなかった方が大勢おられることに申し訳ない思いでいっぱいです。」
「国の法律や制度がこうなっているからと、理不尽なことをおしつけられている、それは被災地だけではないでしょう。」
「葛飾には現場主義の議員が勢ぞろいしています。
どうぞ、皆様の現場から政策提言をいただき、現場から政治を動かしましょう」

乾杯の後の懇談では、多くの方々に声をかけていただきました。
消防署の方とのお話では、「年末から3が日は、救急車が常に動いている状態で、職員は眠る時間もありませんでした」とのこと。
患者さんがどの程度、救急車を必要とする状態だったかということも問われるとは思いますが、
救急車も職員も不足状態だと推察できます。「公務員減らせ」でいいのでしょうか。

あいさつを交わしている中で、何人かの方から「日の丸に礼をしませんでしたね」と指摘されました。
やはり気がつかれたか…。

昨年は壇上正面には葛飾区の旗だけだったような記憶があります。
今年は、区長、そして国会議員が、壇上の隅にたち、会場に背を向けて、日の丸に礼をしているのを見て、自分はどうするかを考えていました。
会に招いていただいたことに敬意を表すために、礼をするか、内心の自由を尊重して礼をしないか…。

自然体で臨んだ結果、「愛される共産党になってほしいので、国旗に礼をしてほしいですね」など言葉をかけられることになりました。
これから、こういう難しい場面は増えていくことでしょう。

帰り道もそのことを考えていました。
やはり集まられた方々に背を向けて、旗に礼をすることは釈然としません。
日の丸を国旗と認めるかどうか、という議論はおいておくとしても(法律で定められたことで国旗とみなしたとしても)、
そもそもなぜ国旗に礼をするのでしょうか。それは何に(誰に)対する「礼」なのでしょうか。

自国の先人への尊敬の念は、私も深く抱いています。
立場や主義主張が違っていても、多くの先人たちは、私の知らない時代にさまざまな困難を乗り越えて生きてこられた、そのことには偽りのない尊敬の思いを抱いています。
(戦争という虐殺の首謀者や、国民を「虫けら」のように扱った「先人」は別ですが。)

「日の丸=先人」ということでしょうか…。
国旗とは、そもそもマークであって、崇め奉る対象ではないように思います。

帰り道の私案は続き、う〜ん、考えるほどにわからなくなりました。
私は、人間に対しては心から「礼」をするが、偶像やシンボルに「礼」をする人間でありたくはない、これが、本日の結論となりました。

それにしても、卒業式や入学式、国会でも、日の丸への「礼」が当たり前になってきているけれど、それは何に対する「礼」なのか、聞いてみたくなりました。
あなたは、何に(誰に)「礼」の念を示しているのですか?