日本共産党 田村智子
コラム

【11.10.08】荒川土手で足立の花火を鑑賞

舞いながら消えゆく光になぜか胸が熱くなる

 
毎年7月に開催されていた「足立の花火」。
地震や津波の影響などを考慮し、今年は秋の開催となりました。
よし、今年は観に行くぞ!と、数日前から楽しみにしていました。

家から荒川河川敷までは、自転車で10分足らず。
前回、荒川まで出かけて花火を見たのは、まだ娘が小学校にあがる前だったように思います。
そして今年は、「友達と観に行く」という娘、「家で留守番してるよ」という息子。加えて夫は出張中。

「暗くなって危ないから」と、帰り道は合流することを約束させて、1人で河川敷まで出かけることに…。
これって「寂しい人」じゃないか、いやいや、身軽だから人ごみのなかでも打ち上げのそばまで行くチャンスだ。

午後5時半過ぎ。足立の対岸、小菅に自転車を止めて、河川敷を千住新橋にむけてひたすら歩きました。
一度は土手に座ったのですが、花火が始まると欲が出て、さらに打ち上げ場所の近くへと歩き、打ちあがる火の玉の軌跡が見えるところまで到着。

夜風は冷たい季節、通常ならば2時間ほどかける打ち上げを50分間でやりとげるというプログラム。
息もつかせない勢いで、序盤から次々に花火がうちあがります。

紫、赤、青、白、金色…。朝顔、あじさい、スマイル、ハート…。
心地よい風が吹いているので煙幕も流れ、くっきり鮮やかに光を放ちます。
ひときわ大きな花火が重なり合ってうちあがり、柳のように長く尾をひくたびに、歓声と拍手が起こります。

ランダムに軌跡をつくりながら尾をひく花火も。人魂(ひとだま)のように見えるその光になぜか胸が熱くなってきます。
地震や津波で奪われた命が、空の上から地上を見下ろしている、地上にいる私達に何かを伝えようとしている、そんな思いがこみあげるのです。

震災から7カ月。私達は、あまりにも多くの犠牲をどう胸に刻んでいるのか。
何を反省し、何をめざしているのか。
1人でみているから、花火とこみあげる思いに、静かにひたりきれたように思えます。
こんな花火もいいものだ。でも、次の機会には、やっぱり家族で見上げたい!
(写真は携帯で撮影。なかなかうまく撮れたと思うのですが…)