日本共産党 田村智子
コラム

【11.07.01】陸前高田市へ 大船渡市へ

病院再建と雇用を課題に調査・視察

 
国会の会期を延長しながら、委員会が開かれるめどがまったくみえないまま。
それならば、被災地へ行こう!と、急きょ、視察日程を決めました。

医療再建が、今どうなっているか。
国会でとりあげてきた課題をそのままにしておくわけにはいきません。
仮設診療所をつくろうと動き始めている岩手県に行くことにしました。

6月30日、まず向かったのは岩手県庁。
県議会の初日という多忙な中、医療機関再建に関わる担当課のみなさんが、状況説明をしてくれました。

被災直後から、医師・看護師が自らも被災しながら診療を開始。
被災した開業医のほとんどが、地元での診療所再建をめざしておられるとのこと。
仮設診療所建設も始まろうとしています。

「国がどこまで支援策を組むのかがわからないと、再建に踏み出す決断がつかない方もおられる」
「支援策があるとみこして、再建にとりくんで、途中ではしごをはずすようなことにならないか、私たちも不安がある」

仮設診療所は、建物(プレハブ)も医療機器も購入しなければ、国の補助対象になりません。
県が、プレハブと医療機器を購入して、開業医の方に提供することでスタートさせようとしていますが、2年という期限での設置ですから、その後、建物の処理費用はどうなるのか、医療機器はどうするのか、これが今から問題になっているのです。
「購入ではなくリースでもよいということにならないか」――現場にきてわかる要求がたくさんあると、あらためて感じます。

壊滅的な被害となった県立病院をどうするか、これも大きな課題です。
7月1日、陸前高田市で4階まで津波被害にあった県立高田病院を訪ねることに。
斉藤信岩手県議が、盛岡から車で先導。
途中、木造仮設住宅を訪ね、また津波被害で建物も樹木も根こそぎ消失した沿岸部を案内してくれました。
何もなくなった平地に、大型の重機やトラックが行き交い、遠くに「希望の松」が…。

 
元の高田病院をしっかりと脳裏におさめて仮設診療所へ。
近くのコミュニティセンターには、駐車スペースにおさまらないほど車が集まり、午前の診療時間が終わっても、大勢の患者さんの姿がありました。

コミュニティーセンターの部屋全てを利用し、医師会・薬剤師会、岩手大学附属病院、他県の医療支援チームの協力もえながら、スタッフが忙しく行き来しています。
事務室は小さな舞台のある大広間。所狭しと机、薬やカルテ、様々な物品が置かれた部屋のなかで、石木幹人院長が時間をつくってくださいました。

「早く仮設の病院。そして入院機能も仮設であっても復旧させなければだめだ」
決然とお話をする院長。
被災前、陸前高田市になくてはならない病院として、「いい病院にしよう」と努力を積み重ねてこられたのだと、お話を聞くなかでわかってきました。

高齢者の救急搬送が多い、肺炎などで入院した高齢者の方が寝たきりにならないよう、早くから身体機能全体の回復へ努力し、平均入院日数は19日。
看護師の体制も、入院患者10人に1人でがんばってきたとのこと。

地震・津波の被害後、病院スタッフが避難していたのがコミュニティセンター。
「ここに高田病院のお医者さんがいる」と、被災した方々が地震翌日から、診療をしてほしいと訪ねてきたのだといいます。
高田病院を頼って、日に日に患者の人数は増え、職員のみなさんは10日間ほど休む時間もなく、診療を続けたのです。

仮設診療所で診察をしても、毎日、入院が必要な方がいる。
一日も早く入院機能を回復させるのは当然のこと。私たちはそういう病院を、この地域につくってきたのだ。
国が仮設病院から全額費用を出すのは当たり前のことではないのか。

院長先生の強い強い意志、地域医療を担う医師としての使命と責任、これまでの医療活動への誇り。
被災後、ぎりぎりの状態で医療活動を担ってきた緊迫感。
心をゆすぶられるような懇談でした。

政府の復興策は、あまりにも最初に枠をつくりすぎている。
例えば、被災した公立病院は、現地で復旧するのならば国の補助対象だが、別の場所に建設するのならば対象外。
新しく病院をつくる場合には様々な基準があって、そもそも「仮設病院」という概念はない。
(診療所の場合は、入院施設は必要ないし、トイレなども外付けの仮設トイレでよいとされています)
こういう枠組をつくって、あてはまらなければ切り捨てる、それでいいのか。

どうしたら、この病院が地域の拠点病院として再建できるか、
仮設病院という入院機能をもつ病院としてスタートするには、何を乗り越えなければならないか。
それを考え政策にすることこそ、今、一番求められているのだと確信しました。

被災した医療スタッフが、自らの困難を乗り越えて医療再建をめざしている。
ならば政治も、この方々を応援するためには、現行制度の限界をどう乗り越えるのかを知恵をつくし、一緒に困難を乗り越えていくことが、何よりも求められているはずです。
院長先生の目に宿っていた闘志が、今、私の魂にも火をつけています。
これから国会にもどって、厚生労働省、政府と、真剣勝負ともいえるやりとりをしなければ。

 

病院訪問のあと、陸前高田市の仮設市役所のすぐそばに設置された、日本共産党の救援センターに立ち寄りました。
無料青空市で、衣類など品定めをする方の姿がありました。
ミニバザー会場のような広間に置かれたベンチでお弁当を食べ、地元で奮闘するみなさん、大阪など関西から支援にきているみなさんと言葉をかわしました。

青年時代からの友人、岩手県党の吉田さんとも再開できました。
昨年、当選直後の私が議席の後退に打ちひしがれていたとき、「あなたがそんなことではダメ」と、率直に意見を伝えてくれた、かけがえのない友人です。
彼女の元気な姿、あたたかい笑顔に、どれだけの方が励まされていることか。

このボランティアセンターの近くからは、津波に全てを奪われた海岸沿いの市街地が見下ろせます。
海まで、何もない風景。
1人の若者が座り込んで市街地だった平原をじっと見続けていました。
そこにあるはずの街を見ていたのかもしれません。

「立ちあがるのに時間のかかる方もおられる。それぞれの再建に寄り添うことが必要」――国会の参考人質疑で救援活動にとりくむNPO法人の方が話されたことがよみがえってきました。