日本共産党 田村智子
コラム

【11.06.04】20数年ぶり 世代を超えた校歌斉唱

高校の同窓会に参加しました

「北方に浅間火の山 南方に八つの群峯
千曲川うねり流るる むらさきの佐久の高原
野沢北校 われらが母港 誇らん哉 その伝統」
(野沢北高等学校校歌 作詞・草野心平 作曲・小山清茂)

20数年ぶりに歌いました。
東京在住・在職の同窓会、東京岳南会の1年に1回の集まり。
初めて、最後までみなさんと交流することができました。

年配の方が多いと思いきや、この春の卒業生が5人もいて、80代の大先輩から後輩まで、本当に和やかに楽しく交流できました。
同級生にも再開して、文化祭でのクラス対抗合唱コンクールの話、クラブ活動の話など、時を一気に超えての話に花が咲きました。
本当に楽しい時間でした。

実は、高校時代の自分と今の自分には「断絶」があって、こうして同窓会にわだかまりなく参加できたのも初めてのこと。

いわゆる「いい子」だった私。
学生時代に、学校からみればまるで「反抗期」のように政治的な行動をするように。
それは、実家にも学校にとっても、予想外のことだったでしょう。

「反抗期」のような「脱皮」は、様々な痛みをともなうものでもありました。
大学卒業後は、故郷の人たちに、どこに勤めているかとか、日本共産党との関わりも、公然とあらわせない時期がありました。
友人たちに対しても、自分に対しても、後ろめたい思いがずっと胸のうちにありました。

同窓会で、同級生だけでなく、世代の違う方々とも自然に楽しく会話をするうちに、後ろめたさとか、わだかまりとか、全部なくなっていきました。
「故郷の絆ってすごいんだな」、やっとわかりました。

冒頭に紹介した校歌。在学中は、歌えというから歌う、行事のための歌のように思っていましたが、今、歌うとなんともいえない郷愁の念がわきあがります。
そうか、校歌は卒業してから、故郷を離れてから、忘れえぬ歌になるのか!

このHPをみていただいた北高同窓生の方、来年も6月第1週土曜日に集まりますよ。
一緒に校歌を思い切り歌いましょう。

追記
故郷の町を根こそぎ奪われた被災地。やはり考えずにはいられませんでした。
この20年あまり、母校を訪ねたことはありませんが、あの町に自分が通った学校があるという事実が、どれほど大切なことか。

被災地復興とは、喪失したものを形だけでなく、歴史や記憶をつなぐこと。
だから、被災した方々が、その地で立ち上がることなしに復興はありえないのだと思います。