コラム
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【11.04.21】被災地へ①
塩釜・多賀城市の坂総合病院 そして石巻市へ
東北の被災地に行くことが決まったのは、前日の昼前。席の予約は最初からあきらめていましたが、まさかこれほどの混雑とは。
地方議会の名前がついた防災服の男性、頭にバンダナを巻いたリュック姿の若者、被災地にいくのでしょう。
快晴の福島駅に到着。曇り空の東京が肌寒かったので、むしろ暖かく感じました。
ここからレンタカーで、一路、宮城県へ。
名取川付近からでしょうか、東北自動車道の段差に車が大きくバウンドします。道路の左右に広がる光景は、津波の爪痕がはっきり残っていました。
田んぼのなかに車、瓦礫…、いやここには家があったのでは。
高速を下りて最初に向かったのは、塩竃市・多賀城市の市境に位置する坂総合病院。
全日本民主医療機関連合会に加盟する全国の病院から、ボランティアがこの病院を拠点として、避難所への医療スタッフの派遣も行っています。
震災直後から、最前線で活動してきたこの病院からの発信で、私も国会質問を準備した経緯があります。
2階の災害対策本部で、医療支援の現状とこれからの課題について、お話を伺いました。
その間もスタッフは忙しく活動中。話も、人が入れ替わり立ち替わりしながらお聞きしました。
私が気になっていた一つ、子どもたちや障害者の方の現状。
「予防接種や乳幼児健診の時に、震災の影響を心配するお母さんからの相談が寄せられているようです」と、地域の保健師さんから相談を受けたスタッフ。
――瓦礫になってしまった町を見続けることがどんな影響を与えるのか、
――自宅そばの木に流されて方のご遺体がかかったままになり、何日も、その様子を目にしていた。
――津波に流され、身体が冷たくなっていく方を、お母さんと一緒に懸命に温めようとした幼児。
メモをとりながら顔をあげることができませんでした。
医療施設の再建の課題、東北地方が療養病床削減をはじめ、いかに医療体制を崩されて地域なのか、等々、政治の直接の責任に関わる課題も、具体的にお聞きしました。
あっという間に予定していた2時間ほどの時間がたちました。
「明日は、避難所訪問に同行させていただきます」「お互いがんばりましょう」
日本共産党の宮城県東部地区委員会の事務所は津波被害を受け、亡くなられた方もおられます。
今は、もとの事務所のそばに「支援センター」を構えての活動。全国からボランティア、救援物資が連日集まってくるそうです。
「身近な仕事人」と名刺に印刷している、市議の三浦かずとしさんの案内で早速、市街地へ向かいました。
石巻漁港からの津波が直撃した地域。避難所となっている湊小学校のまわりは、まさに瓦礫の山です。車が通れるようになるまで相当な労力が必要だったことでしょう。
教室の時計も、校庭の時計も、3時50分過ぎで止まっています。津波に襲われた時間を記しているのです。
当初、200世帯近くのみなさんが4階に避難。そこからみなさんの生きるための闘いが始まったといいます。
3階を掃除してつかえるようにし、さらに2階を、そして天井近くまで津波が襲った1階の教室を。泥に埋まり、窓のガラスもなくなった1階。私達が訪ねた時には、窓には厚めのビニールがしっかり貼られ、床も壁もドロの跡というところまできれいになっていました。
避難所の責任者、庄司慈明さん。日本共産党の市議でもあります。「電気が回復した時には点灯式をやってね、みんなで喜びましたよ」、毎日が本当に闘いだったであろうことが、一言一言からにじみ出ていました。
石巻魚市場株式会社の須能邦雄社長とお会いできました。
漁港の冠水被害についてお話を伺うつもりでしたが、話はそこにとどまりません。
「船さえあれば、漁師は働ける。漁業を復興させるには、国が漁船をつくって漁師にリースをすれば、私たちは借金を抱えずに、けれど自力でお金も払って漁を続けられる」
須能さんの会社は50人の従業員全員、雇用継続をされています。
漁港の片付け、会社の片付け、役割分担しながら条件のある人にはできるだけ働いてもらい、賃金も保障するとのこと。
「私は千葉で、52隻の漁船団を率いていた。遠洋では何が起きるかわからない。転覆しそうになる船があるときは、全体をみながら、それぞれの対策をとる。そういう体験が生きてくる」
かけがえのないマンパワー。漁業はこういう方々に支えられてきたのでしょう。
復興の知恵も力も現場にこそある。須能さんとがっちり握手。
塩富、渡波、万石などの地域は、津波の被害は浸水ですみました。ところが大潮で潮位が上がりはじめた今月半ばから、冠水被害が始まったのです。
道路は完全に水没。車ではもう進めない。車をおりるとくるぶし近くまで水につかります。
家々の明かりはついています。その明かりが水面にうつっています。
マンホールからぽこぽこと泡が。下水管を通って、海水があがっているのでしょうか。
側溝の近くまでいくと、長靴の3分の2は水の中。
住民の方が心配そうに家の外に出ていました。
「大変なことになっていますね」声をかけると、「今日はまだいい方ですよ。高気圧だから」
「これからどうなるんですかね。なんとか水がひくようにしてほしい」
「子どもたちの登校時間も、満潮時間をさけている。とにかくこの状態をなんとかしてほしい。秋の大潮の時に台風が来たら、大変なことになる」
かつて経験のない大災害は、今も進行中なのです。
海の潮位よりも低くなってしまった町、この町に住み続けるために何ができるのか。
私には土木工学の知識もありません。こういうときに専門家としての国会公務員の役割が本当に求められているのだと思います。
そ国の技術者もはりつきになって、現場で一緒に考えて、対策をすすめなければ。そしてそれができるようにするのが、国会議員としての私の役割なのです。