コラム
【11.04.25】被災地の医療再建をテーマに予算委で質問
「この地でがんばる」と決意できる支援を
午後1時、予算委員会が議場となる第1委員会室へ。最前列の正面に向かって一番左端の席が日本共産党の1議席です。
前回ここに座ったのは3月10日。大震災の前日でした。その日のことがはるか昔のように思えてきます。
午後4時30分過ぎ。首相の目の前の質問席につきました。手もとの質問原稿は、後からの書き込みでいっぱいになっていました。
被災した病院や診療所の再建がテーマです。
この質問準備で21、22日に、急きょ、宮城県を訪ねることにしました。
(被災地で見たもの、聞いたことは、日付をさかのぼりますが、あらためてこのコーナーに記録します)
被災地の医療、今の瞬間は、ほとんどの地域に全国からの医療チームが入るようになっていました。まずは一安心。
けれど、被災以来、食事は保存食が中心にならざるをえませんから、塩気の多い缶詰やカップめんを、ほぼ毎日とることになります。高血圧や糖尿病、慢性疾患の患者さんに系統的な診療が急がれます。
瓦礫撤去で気管支炎やぜんそくなども増えているとお聞きしました。
「かかりつけのお医者さん」が、すぐに必要なのです。
22日の宮城県からの帰路、ファックスや電話で、災害復興の補正予算(第1次)の内容がわかりました。
医療施設の災害復旧予算は70億円。財政支援の枠組みは、阪神・淡路大震災の時の枠を出ていない…。
先輩議員や秘書のみなさんと意見交換するうちに、「たとえ一次補正とはいえ、これはあまりに少ない!」と問題意識がはっきりしました。
質問で直接はとりあげませんでしたが、この質問で私の思いの根っこには一つの光景がありました。
宮城県内の視察で最後に訪れた、石巻市北上町の津波に直撃された町の光景です。
市役所の支所(合併前の北上町の町役場)があった町。
すべてが瓦礫に化していました。支所の建物も体育館や倉庫も「残骸」に。
その奥に白いコンクリートの建物が原形をとどめていました。
「小学校です。あの屋上で子どもたちが一晩、救助を待っていました」
1時間半ほど前、私は避難所で小学生数人に話しかけました。その子どもたちがこの小学校の児童でした。
この場所を先に訪れるべきだった…。ものすごい後悔の念に襲われました。
子どもたちがあの日、何を見なければならなかったのか、どんな音を聞きながら一晩を明かしたのか、どんなに思いを寄せようとしてもきっと私はそこに到達できない…。
被災した病院や診療所、開業医の方々が、何ものにも代えがたい役割を担っていくのだと、思い知らされました。
私が知るのは瓦礫の町です。
そこにどんな町があり、暮らしがあったのか、それがどうやって壊され、何が失われたのか――被災した医師、看護師のみなさんはそれを知っています。
子どもたちの喪失感、痛みに、寄り添い続けられるのは、この方々なんだ。
この地で再起するか、再起をあきらめざるをえないか、その帰路に立たされている方は大勢おられるでしょう。
億単位の新たな借金に耐えられる人だけが再起できる、それでは復興支援にならない。
復興は「青写真」を描くことではない。
医療だけでなく、被災したあらゆる分野の方が、「もう一度この地でがんばろう」と立ちあがることが復興なのだと思います。
その支援をなんとしても実現する。何度でも質問するし、交渉するし、当事者の方々と運動する、この日の質問が私の決意にもつながりました。