日本共産党 田村智子
コラム

【11.01.10】成人式おめでとう!

エールを送る宣伝、でも寒かった〜!

渋谷駅ハチ公前は、駅の北口です。ということは、日が射さない…。
冷たい風が吹く中での街頭宣伝、これは寒い!

それでも元気よく、若者に人生のエールを送る気持ちで、宣伝カーの上にあがりました。
一緒に演説をするのは、宮本たけし衆院議員。ともに青年運動をしていた時代がありました。
青年時代を思い出させてくれたのは、青年弁士の二人です。
民青同盟の中央委員長、田中悠くん。そして東京大学1年生のAくん。

まだ19歳というAくんは九州の出身。
「地元の大学か、東京の大学に進学するか悩みました」――実家を離れての一人暮らしにお金がかかる、大学学費も初年度だけで80万円近い。
担任の先生、そして両親に相談しての決断だったそうです。
東京大学は、学費の減額免除の制度を収入要件が合致する学生すべてに保障しています。学生たちの長年の運動中で実現したものです。
「この制度があったから、今ぼくはここにいます」
両親への感謝の言葉もふくめ、Aくんのまっすぐな思いに胸打たれました。

自分の青年時代に重ねながら、というよりも、母親の気持ちがわかっての感動だったような…。
私もそういう年齢になったのですね。

私の成人のみなさんへのメッセージは…。
「これからの人生で、どこか自分から政治に、世の中の動きにつながって生きて言ってほしい」
「そういう生き方って、なかなかいいものですよ」

20年前、私は25〜26歳。どんな時代を生きていたか、演説を準備しながら思い出しました。
1991年1月、湾岸戦争。イラクへの多国籍軍の攻撃が始まったのがちょうど20年前でした。
前年の8月、イラクが突然クウェートに武力侵攻。衝撃でした。国際社会がいっせいに抗議の声をあげたことに、「武力で他の国や民族を言いなりにすることはできない時代になった」という世界の変化を感じてもいました。

民青同盟の一員だった私は、1月に湾岸戦争が起きるまでの間も、とうとう攻撃が始まった時にも、戦争を認めるわけにはいかないと、学習や宣伝、集会、デモ行進など行っていました。
湾岸戦争は30もの国々が多国籍軍を編成し、戦争に異議をとなえることがなかなか難しい国際世論がありました。
私たちに衝撃のニュースだったのは、攻撃に加わったイギリスで、ジョン・レノンの曲が放送禁止になった、というものでした。

「イマジン」を流しながらデモ行進をしよう。
宣伝カーから「戦争反対」というコール(シュプレヒコール)ではなく、「イマジン」と「平和を我等に」を流し続けてデモ行進をしました。

それからの20年間、世界は大きく動きました。
2003年のイラク戦争では、戦争に参加した国は大きく減りました。国際世論は戦争をすべきでないというものでした。
国際社会は、武力や軍事同盟にたよらないで、紛争を解決する道を模索しているのです。
そのなかで日本は道を誤ってきたのではないのか。

経済をめぐっても同じです。
20年前、バブル経済の崩壊。無秩序な投機によってもたらされた経済の崩壊でした。
この反省にたつならば、投機の規制、実体経済の成長への努力がなされるべきだったのではないか。

寒さを忘れて熱くなって話してしまいました。
田中悠くんも、宮本たけしさんも、熱いメッセージをこめての話でした。
でも、風は冷たかった…。
演説を聞きにきてくれたみなさんも肩をすぼませて、足踏みしているのがわかります。

そんななかに、この寒さのなかでアウターもマフラーもない姿で聞いている若者が。
演説を終えて握手にいって言葉をかわすと、やはり東大の学生だとわかりました。
「大丈夫?寒くないの?」――寒さに強いのかもしれないけれど、経済的に大変でコートが買えないのではと心配になってしまいました。
子どもの面倒をみるような気持ちで、「上着はないの?風邪引かないように気をつけてね」と声をかけてしまいます。

渋谷駅からすぐに船橋駅へ。
千葉のみなさんの成人式宣伝に合流しました。成人式会場のすぐそばでの宣伝。
晴れ着姿の女性が、ビル風でまきあげられそうになる着物のすそをおさえる姿も初々しい。
肩を大きく出すスタイルで振袖を着ている女性には、目を見張りました。
一緒に宣伝していた女性たちが、「かっこいい〜」と声をあげて、またびっくり。う〜ん、世代ギャップだ〜。

娘が成人を迎える頃には、どんなスタイルで晴れ着をきるのだろう、などと考えてしまいました。
もっとも私は、成人式の時、大学の試験の真っ最中で、実家にも帰りませんでしたが。
振袖もきなかったし、式にも出なかったし、何もしなかった。
あの頃は、お金もかかるし、試験でまじめにがんばるのが親孝行だと思っていたのですが、両親はどう思っていたのでしょうか…。
そう思えるようになったのも、私が若者時代から卒業し、次世代を育てる世代を着実に歩み始めているからでしょう。
若者時代を卒業して、私も第2の成人式を迎えたような気持ちです。