コラム
【10.12.31】「良い年にしましょう」と励ましあった大晦日
日航「指名解雇」の日に抗議と連帯の集会
夫の実家の大掃除を終えて、元日宣伝のために私だけ大阪から東京へ。
大阪は風が強くても日が射していました。ところが京都は一面の雪景色。
関が原を越えて、またお日様がまぶしくなったあたりで…携帯電話がぶるぶると震えました。
山下よしき参院議員からの電話です。
「急な話なんですが、日本航空の整理解雇に抗議する集会が4時半から…」
昨日の夜に急に決まった集会とのこと。
終わり際に間に合いそうな時間、「駆けつけます!」
品川駅で降りて、あわてて着替えて空港近くの会場へ急ぎました。
クリスマス・イブの集会以来、気になっていたことの一つです。
除夜の鐘とともに「解雇」。
31日に解雇すると、個別に通知するというやり方です。
連日、当事者の客室乗務員、パイロットのみなさんは宣伝し、会社との団体交渉をし、解雇撤回を求め続けました。
会場に駆け込んだのは夕方5時半前。
会議室から拍手が聞こえてきます。会場いっぱいのみなさんは、何人もの方がハンカチを目頭にあてていました。
電話をくれた山下さんのほかに、穀田恵二、笠井亮衆院議員の姿がありました。笠井さんは富山から、穀田さんは京都から駆けつけたとのこと。
会場の発言を聞くこともできました。
空港で飛行機の整備をしている労働者も「整理解雇」の対象となりました。
「羽田では整備士が足りなくて、成田から呼ばれることもある」
整備の技術向上のための講習を昨年受けた方まで、解雇されたとのこと。
「私は高校生の時から、操縦に関わってきた」と機長の一人。
「私たちから飛行機をとりあげ、スケジュールをとりあげ、ライセンスまでとりあげることがどうして許されるのか」
「私たちに飛行機さえ与えてくれたらすごい仕事をする、そういう労働者を切り捨てたのがこの整理解雇だ」
発言を聞いていて鳥肌が立ってきました。
ベテランの操縦士を、客室乗務員を、整備士を使い捨てる。
会社に臆せずものを言ってきた組合をつぶすために。
『沈まぬ太陽』が封切られた2010年に、あの映画でとりあげれた組合つぶしと同じことをさらに苛烈に強行しようというのです。
客室乗務員の内田組合委員長が最後に決意表明。
クアラルンプールの飛行機炎上事故で、同期の客室乗務員が犠牲になり、御巣鷹山の墜落事故でも同僚を失い、慰霊の山登りも経験してきた方です。
「私たちは、同僚の犠牲、お客様の犠牲を背負って仕事をしてきた。だから、会社に空の安全を求めて物を言ってきた。私たちの解雇撤回のたたかいは、空の安全を守るため、全労働者の権利のためのたたかいです」
集会が終わり、みなさんと握手をして、組合事務所でコーヒーまでごちそうになりました。
私一人で家ですごす大晦日より、私自身への大きな励みにもなりました。
12月31日、家族や友人と過ごし、今年を振り返り来年への思いをはせる日。
そのカウントダウンが「解雇」へのカウントダウンになる。
なんという非人道的なやり方なのか。
どんな思いで除夜の鐘を待つのか、どんな気持ちで新年を迎えるのか。
当事者のみなさんの心中を思うと怒りの火が燃え立ちます。
たたかうみなさんは、明るく、元気に、堂々と一日一日を送っています。
裁判闘争に舞台をうつしてのたたかいになります。
様々な事情で、裁判までたたかえない方も大勢います。
希望などしていないのに、執拗な「退職強要」に「希望退職」させられた方も大勢います。
その方々がどんな思いで大晦日を迎えているか…
会場をあとにするときに、「良いお年を」とはとても言えませんでした。
「がんばりましょう」「来年は良い年にしましょう」
2011年はもう目の前です。