日本共産党 田村智子
コラム

【10.12.03】国会最終日に「改正」自立支援法案が成立

渾身の怒りをこめて質問・討論

台風のような雨の音。このなかで障害者のみなさんが国会に集まっているんだ…。
傘をさして自宅から綾瀬駅に向かう道々、その光景を思い浮かべていました。

昨日は夜9時まで国会事務所で質問原稿に向かっていました。
夕方の理事懇談会での怒りがおさまらず、頭はヒートアップ。なかなか原稿がまとまらず、帰宅してから、いよいよ頭の中はオーバーヒート。
深夜、布団に入ってからも、眠っているようないないような、質問原稿が頭の中をぐるぐるしていました。

朝、反対討論の原稿の最終直しをして、午前8時半前、国会に到着。
9時過ぎ、委員会室へ。傍聴席にいっぱいの方々を目にすると胸がつまりそうでした。
9時10分、委員会開会。法案の趣旨説明が始まりました。

質問は私から始まりました。これも初めての経験です。
たった15分間。それでいいのか、怒りが波のように押し寄せる、それを抑えながらの質問になりました。
手話通訳の方がおられる、早口になってはいけない…

昨日の理事懇談会の異常さを告発し、質問スタート。
通常国会に提出し、障害者のみなさんから異論が噴出した法案と全く同じものを、またこの国会に提出したのはなぜか。
応益負担を変える内容になっているのか。
自立支援法廃止、新法制定までの「つなぎ法案」というが、障害児の通所施設などは大掛かりな再編が求められる。新法の内容をしばるものになるのでは。

答弁とかみ合わない。聞いていることに答えていない。
そう感じながら、問いただす時間さえない、なんというもどかしさ!
あっという間に15分が過ぎ、社民党の福島みずほ議員の質問。
そして討論。反対討論を私が、賛成討論をみんなの党・川田龍平議員が、そして再び反対討論を福島議員が行い、いよいよ採決。
議場の委員をぐるりとにらんでしまいました。

傍聴席から、「自立支援法反対 自立支援法反対・・・・」、繰り返し声をあげる障害者の方。
警備にあたる衛視に抱えられるようにして委員会室の外へ連れ出されていきました。
障害者の方にそんな言葉を叫ばせてしまう国会が悲しくて悔しい。

委員会終了、傍聴席に向かいました。
外に向かうお一人お一人と握手。「力不足でごめんなさい」「これから、新法制定へがんばりましょう」
思わず涙がこぼれて、福井典子さんに「あなたが泣いたらだめよ。泣きたいのはこっちなんだから」と叱咤激励。

みなさんを送り出して、しばらく脱力感に襲われました。
会期末処理で、二つの委員会を終えて、自分の部屋に戻ろうとエレベーターに乗って、鏡をみて髪がひどいことになっているのにやっと気づきました。
朝、激しい雨のなかを歩いたために、整えたはずの髪が大変なことになっていました…
髪を振り乱して質問してしまった。私の心情そのままだったんだ…。

正午から本会議。
障害者の法案について「採決することにご異議ございませんか」と議長。
「異議あり!」、共産党の6人の議員の席から相次いで声があがりました。
傍聴席にいる障害者の方々に声をあげさせては申し訳ない。その思いから私も議場で初めて大声の不規則発言をしたのです。
厚生労働委員長が、委員会審議の報告。
「30分しか審議していない!」、壇上にむかって大きな声で再び不規則発言。
そして採決。「反対!」、共産党席からの声。「こんな乱暴なことしたらダメだ」、私の後ろの山下よしき議員の声がひときわ高く響きました。

本会議後、議員会館前での抗議集会を激励しました。
「私たちの思いを代弁してもらいました」
「ありがとうございました」
激励されたのは私の方でした。
こんなことで負けていられない、私たちの手で、自立支援法を廃止し、必ず新しい法律をつくるんだ。今日がその運動の新たな始まりだ。
集まったみなさんはまっすぐ前をみつめています。困難を乗り越えるたびに、みなさんの運動はまた強くなっていく。その力が必ず、当事者抜きの政治を変えていく。
この臨時国会の経験は、議員としての私の血となり肉となった、そのことを劇的に感じる最終日でした。