コラム
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【10.10.11】「東京に介護難民をつくるな!」
都民集会の座談会に他党議員と席を並べて発言
連休2日目。「行ってらっしゃい」と子どもたちに送られて向かったのは豊島公会堂。東京で介護に携わる事業者9団体が、この間、介護保険制度の大都市問題をとりあげて運動を展開しています。
今年6月に続いての都民集会に、発言者として参加を要請されました。
集会で一番の焦点となったのは、地域係数の不十分さです。
介護の事業者の主たる収入は、国が基準を定める介護報酬です。
この介護報酬の低さが、様々な問題を生み出していますが、とくに東京では、物価の高さ、土地代の高さ(これらは当然人件費にも反映します)が考慮されているとはとても思えない計算方法になっています。
このままでは事業者が破たんする、警鐘はもう何年も前から鳴り響いています。
収入の不足は人件費にはねかえり、介護現場でワーキングプアが広がってしまう。
「厚生労働省は、労働行政を担う省庁ではないのか」、実態告発の発言では厳しい声が続きました。
入所施設で働く若者も、「専門職にふさわしい待遇を」「もっと働きがいをもって働き続けたい」と力強く発言していました。
国会議員の参加は、民主、公明(このお二人は障害者自立支援法のシンポジウムでもご一緒しました)、そしてみんなの党の議員も参加。
地域係数の実態にあった見直しは、みんな意見が一致するところです。
私は発言のなかで「特養ホーム待機者は全国で43万人超。そのうちの1割が東京。全国の要介護認定者の1割も東京。東京を抑え込むことで介護に必要な予算を抑え込んでいる。地域係数の見直しはもちろん、介護保険制度の抜本的な見直しが必要」と発言しました。
「介護報酬では、民主党もマニフェストで介護労働者の賃金を月4万円の引き上げると掲げていた。ぜひ実現したい」
「そのためにも、保険料や利用料のひきあげではなく、国庫負担、公費負担を増やすべき」
国庫負担の問題は、その後の発言でもあいついでとりあげられました。
「僕たちが当たり前な給料をと要求すると、利用者の方の保険料があがってしまう。待遇改善を求めることは悪いことなのか」
若者の発言は切実です。
民主党、公明党の議員も「公費負担のひきあげは必要」、明言しました。(民主党の議員は、ここだけの個人的見解と言っていましたが…)
これは実現させなければなりません!
東京の介護問題の焦点、もう一つは、圧倒的な施設不足、人手不足です。
妻が若年性アルツハイマーで、受け入れてくれる施設がなく、本当にご苦労されている方も発言をされました。
「ピック病で対人関係でトラブルをおこしやすい。施設の人手不足もあり、受け入れたくないというのはわかるが、家族はどうしたらいいのか」
介護疲れからの殺人事件、心中事件も後をたたない。この事態をどうするのか。
発言では、東京都福祉局から参加した部長さんが、「国有地の利用が可能になり、今年、世田谷区で保育所を新たにつくることになった。さらに国には協力をお願いしたいし、土地取得補助制度を国としてつくってほしい」と発言。
この国有地への言及が歓迎されました。
私の隣に座っていたみんなの党の議員は「そのことを言おうと思っていたのに、先に言われた」とつぶやいていました。(もっとも、みんなの党は国有地は売って金にすべき、という主張です。私達は無償貸与もありうるだろう、と考えますが)
この国有地活用は、小池あきらさんが国会で質問したことから道が一気に開けたというのがことの推移です。
民主党、公明党も「国有地活用をもっと」と発言でふれましたから、私もここぞ出番と力が入りました。
「国有地については、私達の党も国会で何度も指摘してきましたから、この道が開けたことは本当に歓迎しています。
同時に、これまで国有地は売却するときに初めて情報が自治体に示され、わずか3か月ほどで結論を出すように求められるのが常だった。
これでは計画的な活用は困難。まず、どこに未利用の国有地があるのかを全部明らかにして、優先的に社会保障施設に利用できるようにすべき。」
「施設が圧倒的に足りない、これでは、保険料はおさめても介護が受けられない、保険制度とは呼べない事態。5カ年計画などもって整備すべき。」
「また、東京都の用地取得助成が廃止されたことも重大。東京オリンピックのために何年もかけて大きな施設をつくるより、命にかかわることを優先するように東京都にも求めていきたい」
東京オリンピックに言及すると、会場からも苦笑が起こりました。
介護の問題だけでなく、大きな予算のあり方を問いかけてこそ希望がひらけるのではと、あらためて実感しました。
それにしても、個別の課題では、他党の議員と本当に意見の合うことが多いのです。
特に、当事者を前にしているときは。
これが国会の中での議論にどうしたらなっていくのか。
国会の中でも、当事者の声が届き、目が届き、そのもとでの議論が行われるようにしていきたいものです。