コラム
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【10.10.06】早稲田大学で就職支援について懇談
大学と学生の努力に企業はこたえているか
早稲田の文学部キャンパス。校門からつづく大きなスロープは、私の学生時代から変わらぬ風景です。
このスロープが私の政治活動の出発点。大学2年生からの3年間、ハンドマイクで声を響かせた回数はいったいどれほどにのぼるでしょう。
スロープに続く校舎は、だいぶ変わりました。校舎の数がどんどん増えている、という印象です。
増えた校舎の一つが文学部キャンパスの学生会館。就職の相談、支援を行うキャリアセンターがおかれています。
衆院議員の笠井亮さん、宮本たけしさんとともに、学生の就職活動について現状や問題意識をお聞きしました。
私が参加したのはもちろん、私が早稲田大学の出身だから。
「私が学生時代には、こういう就職支援の場所はなかったと思うのですが…」
「かつては掲示板に企業の求人情報を示すぐらいでしたからね」
大学に求められる役割が変化している、ということもあるでしょう。
驚くほどきめ細かな就職支援メニューが用意されていました。
大学1年生から、就職を展望しての学生生活を紹介し、3年生からの本格的な就職活動では大学の講義カリキュラムの中に企業から人を呼んでの講演もあるとのこと。
授業としての講義以外にも、大企業から中堅どころの企業、自治体と、仕事観を学ぶ講演がびっしり。
保護者対象に、地方での就職ガイダンスも行っているといいます。
「参加者はどれくらい?」
「すごいですよ。200人〜300人の会場がいっぱいになります」
学生も保護者も「就職氷河期」「超氷河期」という事態にどれだけ危機感をもっていることか!
この切迫した思いに拍車をかけているのが、「就職協定」を投げ捨てた企業の求人のやり方です。
3年生から「内々定」を出すという一部企業の異常なやり方が、就職活動は早く始めなければという風評をつくりだし、学生たちを追い詰めている。
「経済界は何度も、『就職協定』を反故にしてきたんですよ」と大学の説明。
戦後、1952年に初めて就職期日を10月1日とする協定が結ばれたのに、1962年には日経連が「廃止宣言」。
1972年は7月1日とする「就職協定」が復活するもなかなか守られず、
1986年に「遵守懇談会」が発足。あらためて8月20日会社訪問開始、11月1日内定解禁の協定合意。
ところがまたも10年後、1996年に協定廃止。今日にいたる。
いまや、学問の成果を就職にいかすことができないと、日本学術会議が警鐘を鳴らしています。
「3年生から就職活動が始まっていることは、学問研究には大きなマイナス。本人の就職観、自分の進路について熟慮する時間もない」
そうなれば、自分の進路、生き方に重ねてなんて悠長なことは言っていられず、エントリシートの数が勝負なってしまう。
企業もあまりに多いエントリーシートから誰を選択するのかは、大変な労力です。
「結局は、双方にとってむだな時間と作業が増えているだけで、社会的にも損失が大きいのでは」
問題提起に深くうなずきながら聞き入りました。
私が大学を卒業したのはバブル時代。夏休みには内定をもらい、企業の研修に参加している同期生が何人もいました。
これも就職協定を陰で破っているのですが…。
経済情勢によって、人生が左右されてしまう。生まれた時代が悪かったというのでしょうか。
いつの時代でも、社会をつくるのは人間です。いつの時代も、一人ひとりの学生が自らの力をもっとも生かせる道に進めることが、日本社会を発展させる道であったはずです。
この20年間、日本社会はあまりに大きなものを、大企業の利益と引き換えにしてきたのでは…。
時間をオーバーしても話したりない、そんな懇談になりました。
学生たちを支援する教職員の努力に、政治や企業がこたえなければなりません。
3年生から「内々定」を出すという一部企業の異常なやり方が、就職活動は早く始めなければという風評をつくりだし、学生たちを追い詰めている。
「経済界は何度も、『就職協定』を反故にしてきたんですよ」と大学の説明。
戦後、1952年に初めて就職期日を10月1日とする協定が結ばれたのに、1962年には日経連が「廃止宣言」。
1972年は7月1日とする「就職協定」が復活するもなかなか守られず、
1986年に「遵守懇談会」が発足。あらためて8月20日会社訪問開始、11月1日内定解禁の協定合意。
ところがまたも10年後、1996年に協定廃止。今日にいたる。
いまや、学問の成果を就職にいかすことができないと、日本学術会議が警鐘を鳴らしています。
「3年生から就職活動が始まっていることは、学問研究には大きなマイナス。本人の就職観、自分の進路について熟慮する時間もない」
そうなれば、自分の進路、生き方に重ねてなんて悠長なことは言っていられず、エントリシートの数が勝負なってしまう。
企業もあまりに多いエントリーシートから誰を選択するのかは、大変な労力です。
「結局は、双方にとってむだな時間と作業が増えているだけで、社会的にも損失が大きいのでは」
問題提起に深くうなずきながら聞き入りました。
私が大学を卒業したのはバブル時代。夏休みには内定をもらい、企業の研修に参加している同期生が何人もいました。
これも就職協定を陰で破っているのですが…。
経済情勢によって、人生が左右されてしまう。生まれた時代が悪かったというのでしょうか。
いつの時代でも、社会をつくるのは人間です。いつの時代も、一人ひとりの学生が自らの力をもっとも生かせる道に進めることが、日本社会を発展させる道であったはずです。
この20年間、日本社会はあまりに大きなものを、大企業の利益と引き換えにしてきたのでは…。
時間をオーバーしても話したりない、そんな懇談になりました。
学生たちを支援する教職員の努力に、政治や企業がこたえなければなりません。