日本共産党 田村智子
コラム

【10.10.02】ぶどう農家で「べト病」被害の聞き取り

農作物への気候変動対策が必要です

山梨県労働組合総連合の定期大会にあいさつにうかがい、会場から直行したのは甲府市内のぶどう農家です。
ご夫婦でぶどうの出荷作業の真っ最中。細長い大きな粒、私にとっては初めてみる品種です。

同行の小越智子県議は、ぶどう畑に「ベト病」が広がっているのではと、いち早く情報をつかんでいました。梅雨明け前の6月の終わり頃のことです。
農家の方々を直接訪ねるなかで、「今年はどうも気候がおかしい」「ベトでやられた」という話を何件も聞くようになったといいます。

しかし、県の対策はとられませんでした。
収穫期になり、山梨県内のぶどう収穫量が1割減になりそうだというので、今、地元紙や大手新聞の地元版で大きくとりあげられるようになりました。

ベト病の名前は、私も園芸の本で知っていました。
ウイルスが葉や実について繁殖し、ひどい状態ではカビがはえてくる。
感染した株はとりのぞき、土もとりかえるようにと本では書いてあります。

ぶどう畑ではおこりやすい被害ですが、通常は夏に30度を超えるとウイルスが死滅するため、実から遠く離れた葉が感染しても、農薬などで実や木を守ることができるそうです。
「今年は様子が違った。まず実がやられた。こんなことは初めて」
「猛暑で何日も真夏日が続いてもウイルス感染が止まらなかった」

春の長雨、5月から7月の梅雨明けまで晴れ間がほとんどなかった、そして猛暑でも猛烈な湿気。
こうした気候変動が、これまでの常識とは違うウイルスの活動につながったのでしょうか。

一番の打撃は、農薬で予防する時期に天候がわるく、十分な予防策ができなかったことにあると、農家の方は分析していました。
「予防するための農薬は乾いた状態での散布が必要。ところが夜に雨がふり、朝方まで残る。日中は市街地へ農薬がいかないように散布は控える。すると夕方また雨が降る。この繰り返しで…」

 
それでもできるだけの手を打ち続けたといいます。
写真は、感染を途中でおさえたぶどうの房。
軸が黒くなっているところがウイルスにやられた部分です。

私からみると、八百屋さんやスーパーで売っていても大丈夫なようにみえます。実はとてもきれいで、つまんで食べたくなります。
「箱にいれて、北海道とか遠くのお客さんに送るんですよ。軸が緑色のぶどうははじめて見た、と言ってくれるお客さんもいる」
それなのに変色した軸のぶどうを出荷するわけにはいかない、のです。

お話を伺った甲府市内のぶどう農家のみなさんは、自主グループをつくって、栽培・農薬についても自主的に勉強しているそうです。
「3年前にも、県内にベトが出た。その時、農薬を使っても抑えられなかったという話を聞いて、自分たちで薬品メーカーを人を呼んで学習もした」
「耐性菌」になっているのではないのか、懸念が広がっていると言います。

気候がおかしかったから仕方ない、では済まされない問題もみえてきました。
小越県議が「ベト病が広がっているのでは?」と、県に問い合わせ、調査や対策が必要ではと迫ったのは6月終わりから7月初旬の頃です。
ところが県も、甲府市も「そんな話はでていない。出ていても、夏になれば収まる」という対応だったのです。

「甲府で被害が出たことをつかんでいれば、ぶどうの大山地の勝沼の方まで広がることはなかったのでは」。
農家への情報提供や技術指導が弱いことも垣間見えてきました。

「ベト病のウイルスは土のなかで越冬し、暖かくなると活性化する」
来年、再来年どうなるか、耐性菌になっていたらどういう対策があるのか、不安は今年だけのものではありません。

こんな深刻な話が中心とはいえ、お話のはしばしに、ぶどう農家としての誇りややりがいが満ちていることを感じました。
土の栄養、葉の栄養が、ぶどうの木や実にどのようにつかわれていくのか、
ヨーロッパ原産のぶどうとアメリカやアラビア原産のぶどうの違い、
巨峰の一大山地、長野県でのとりくみ、
話し始めたら止まらないほどに、ぶどうについての話が豊かに広がります。

 
地元のぶどう、甲州をつかったワインを仲間で造っているとのこと。
名前は「WAKATAKE WINE」。
すべて地元の方々の手による、自分たちで楽しむためのワイン。
見せていただきました。このラベル、なんて素敵な絵!
「地元の小学生が、ここの風景を描いたんですよ」!!

地場産業の奥深さ、可能性を実感します。
今年の被害でぶどう作りをやめる農家がでているとしたら、本当に悔しいことです。
気候変動への対策は、農家まかせ、農協任せにしていていいのか、私も問題意識がふくらみました。
このすばらしい産業を絶対に衰退させない。国の仕事の可能性もさぐらなければなりません。