コラム
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【10.09.26】尖閣諸島は日本の領土
品川区の街頭演説にて
日曜日から品川区では区長選挙、区議補選が始まりました。私も戸越銀座、大井町駅前で応援の演説にたちました。
戸越銀座での演説を終えたとき、「テレビでは朝から尖閣諸島の問題の報道一色」「日本共産党がどう考えているかぜひふれてほしい」という声が寄せられました。
次の演説箇所への移動中、それではと演説内容をがらりと変えました。
「今、国の政治にも品川区の政治にも正義や道理が求められているのではないでしょうか」
(品川区については後述します)
尖閣諸島で中国船が海上保安庁の巡視艦に意図的に衝突。
船長を逮捕・拘留したのは、法律にもとづく当然の行為だと私も考えます。
海上保安庁が日本の領土・領海としてパトロールするのも正当な行為です。
日本政府がこのことを一言も説明しない、それが大問題なのです。
なぜ逮捕・拘留したのか、そしてなぜ釈放したのか、この説明もありません。
それで「尖閣諸島は日本の領土」「この海域に領土問題は存在しない」というのは、あまりにも情けない。こんな外交しかできないのかとあきれ果てます。
尖閣諸島が日本の領土だというのは歴史的な事実にそくして道理のあることです。
「しんぶん赤旗」9月20日(月)では、特集記事でこのことを明確にしています。
以下、記事の抜粋。
尖閣諸島(中国語名は釣魚島)は、古くからその存在について日本にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。1895年1月に日本領に編入され、今日にいたっています。
1884年に日本人の古賀辰四郎が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌85年に日本政府に対して同島の貸与願いを申請していました。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日本領に編入しました。歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為であり、それ以来、日本の実効支配がつづいています。
所有者のいない無主(むしゅ)の地にたいしては国際法上、最初に占有した「先占(せんせん)」にもとづく取得および実効支配が認められています。日本の領有にたいし、1970年代にいたる75年間、外国から異議がとなえられたことは一度もありません。日本の領有は、「主権の継続的で平和的な発現」という「先占」の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。
(「赤旗」9月20日号より)
中国が領有権を主張し始めたのは1970年代、尖閣諸島の周辺海域で石油等の資源の存在が明らかになってからです。
日本がアジアへの侵略をしてとりあげた領土ではありませんし、国際社会で日本の領有権が問題になったことはそれ以前になかった、それが歴史の事実です。
日本政府の外交は「思惑」はあっても道理がない。これでは世界に通用しません。
その一方で、中国との緊張を理由に、アメリカの軍事力に頼ったり、自衛隊増強をしたり、海域での軍事訓練をしていては、問題の解決を遅らせるだけではないでしょうか。
外交だけでなく、日本の政治に政治や道理がない、それが経済や財政をゆがめているとつくづく思います。
商品の販売が落ち込んでも利益を増やす大企業、その大企業に法人税減税を来年度にもやろうという政治。
保険料や税金で生活費が削られ、貯金もとりくずさなければならない。
品川区の政治も1000億円もの税金で駅前再開発。さらに今後、500億円をつぎこんで再開発。高層マンション群をつくろうというのです。
一方で、保育所に入れない子どもは400人をはるかにこえ、介護施設も入居待ちは550人。
この品川区を変えようと、区議補選に名乗りをあげたのは石田ちひろさん。
歯科衛生士として働いていた職場で、突然の不当な解雇。傷つきながらも、こんなことが許されるのかと労働組合に入り、粘り強く交渉し職場復帰を果たしという「筋金入り」の女性です。
職場では、誰からも話しかけられない、みせしめとも言える行為もあり、何度も途中で投げ出そうかと悩み苦しんだそうです。それを乗り越えての復帰、すばらしい精神力、正義感。
演説を横で聞いていて涙が出そうでした。
そして8期32年の区議活動、品川区のことを知り尽くしてきた沢田英二区長候補。
「ゆっくりした生活を送ろうかと考えていたが、区政を変えてほしいという区民からの要望にこたえて」と出馬の決意をはつらつとお話されていました。
中小企業の街、品川で、10年間で4割もの企業が廃業・倒産していくさまを見つめ続けてきただけに、開発会社になりはてたかのような品川区を、なんとしても変えたい、その決意が熱く伝わりました。
ところで、この大井町駅前、私は候補者時代から何度も街頭演説をしてきた場所です。
「国会議員としてこの場所で演説できることを本当に嬉しく思います」
そんな一言も思わず口をつきました。
アナウンサーで宣伝カーで乗っていたWさん。「田村さんを参議院と紹介できるのが本当に嬉しい」目をうるうるしての言葉。本当にあらためてみなさんに感謝です。