コラム
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【10.08.15】炎天下に戦争の実相を思い浮かべて
終戦記念日の街頭演説
8月15日の新宿駅東口、毎年、日本共産党の街頭演説が行われます。私がマイクを持つのは4年ぶりでしょうか。
国会議員として主任弁士。同じ街頭演説でも、緊張感が違いました。
前日から何度も原稿を書き直して…、やや寝不足です。
自宅の玄関を一歩出て「これは無理だ」と、スーツの上着を脱ぎました。
とにかく暑い! シャツブラウスに替えて、いざ出発。
午前11時前の新宿駅。
照りつける太陽に、終戦のその日を思いました。
敗戦直前の南方の地、沖縄、広島、長崎を思いました。
この暑さが、負傷した人、命を亡くした人にどれほどむごいものであったか…。
宣伝カーの前には、お盆の日曜日にも関わらず集まってくださった方々。
心から感謝です。
青年の訴え、大島芳江都議につづいて、私の出番がやってきました。
中央委員会のデッキカーなので、原稿を置く場所もあって助かりました。
街頭演説で原稿を手にすることはほとんどありませんでしたが、今日は別です。
終戦から65年、「韓国併合」から100年、この歴史にどう向き合うか。
歴史認識を土台に、新しい日本をどう築くか。
言いたいことはたくさんありますが、15分のなかにその思いを凝縮させて話しました。
今年はテレビ番組でも、日本の国家としての戦争責任と向き合おうという努力があるように思います。
アッツ島の「玉砕」をとりあげたNHKの番組。
「敗残兵」なのだから、食料もクスリも求めてはならない、自ら死を選べと、自国の部隊を切り捨てた大本営方針。
「玉砕」を演出し、国民にも「命をかけて国を守れ」と犠牲を求める。
昨日は、日本と韓国の若者が、「併合」と侵略戦争の歴史をどう受け止めるのかをまじめに議論していました。
アジアの3000万人の犠牲、国内210万人の犠牲。
それは、あまりに無謀な「領土の拡大」をすすめた、当時の日本の政治のあまりに大きな過失の結果です。
私が、こうした歴史を正面から学び、受け止めたのは、日本共産党に入ってからのことです。
10代の私は、チマチョゴリを着ている女子学生の姿に、「変わった制服だな」と思い、彼女たちが朝鮮民族であることも、なぜ日本にいるのかも知らなかったのです。
「歴史を真摯に学び受け止めよう」、街頭からよびかけた言葉は、かつての自分の姿を思い浮かべてのことでした。
そして新しい政治への決意。
核兵器をめぐる胸躍る世界の動き、これがなぜ日本で注目されないのか!
沖縄の米軍基地に燃えたぎる沖縄のみなさんの怒り。
マスコミが伝えない大切なことを、私たちはどうやって国民のみなさんに知らせることができるだろうか。
焦りにも似た気持ちをかかえながら、話しました。
汗をしたたらせ、ついつい力が入ってしまいます。
「核抑止力」「沖縄の米軍基地は日本の平和を守る抑止力」――まずは、この二つの「抑止力」のうそを徹底的に暴いていきたい。
9月からの国会論戦、そして国民の運動へ、私もさらに研鑽をつもうと思います。
(この街頭演説の様子は、日本共産党のホームページにムービーでアップされています。)