日本共産党 田村智子
コラム

【10.06.11】介護の現場は矛盾がいっぱい…

懇談会で、対話宣伝で、切実な実態が次々と

 
目を開けていると痛くなりそうな強い陽射し。
日陰を選びながら向かったのは、豊島区内の居宅介護の事業所です。
ケアマネージャー、ホームヘルパー、グループホームで働く方々が、昼食休憩の時間をつかって懇談の場をもってくださいました。

口火を切ったのはケアマネの女性。
厚生労働省が定める講習を受けていると、現場からかけ離れた方針がほとんどで「頭が混乱してくる」

たとえば、食事の介護が必要な人への「プラン」の例。
スプーンを胸の高さまであげることができる方だったら、どういう介護をして口までもってこられるようにするか、という目標をたて、その到達を評価する。

「それって、リハビリではないですか?」と私からの素朴な疑問。
「医療サイドからの働きかけともっと融合すべき、ということのようですけれど、一体、このプランは介護なのか、介護とは何か、わからなくなってきますよね」とケアマネさん。

自分で食事をとれるように、というのは、介護を受ける方も願うことでしょう。
けれど、それは目標を立てて、到達を評価するようなものなのか。
まして、高齢になるほどに身体機能が衰えてしまうのを「それはいけないことだ」といわんばかりのプランをたてられるのか。

一方で、ヘルパーの方からは「病院へのつきそいは、病院の玄関まで。それでも利用者さんに呼ばれたら、診察室までつきそってしまうのが人情。これは介護報酬の対象外なんて」という声。
介護と医療の線引きを理不尽なまでに徹底したままで、これからは「融合」というご都合主義。
怒りをこめた溜め息が出てしまいます。

ヘルパーの方が感じる矛盾は、毎日のことだと言います。
電球が切れていたら、取り替えたい。ところが、自分の頭よりも高いところの作業は「危険行為」だからやってはならない。
「訪問したら暗い部屋に一人でいる。それでも電球を替えるな、なんてできないでしょう」
「そういう時はどうしろということですか?」と私。
「地域ボランティアの人に頼め、ということですね」
ヘルパーは危険だからできないことを、ボランティアはやっていい??

介護とは何か、根底のところがずっぽり抜け落ちてしまった、それが次々と矛盾を生み出しているように思えてなりません。
「生まれてからその生涯を閉じるまで、人として尊ばれて生きる」、そのための支援が介護だと私は考えています。

そのためには、もちろん地域のつながり、親子のつながりも大切ですが、専門知識をもち仕事として支える人がどうしても必要なのです。
金勘定ばかりを先行させて、いかに「仕事しての介護」を狭めるか、この政治の根を変えなければ!

 

 

午後は豊島区内2ヶ所で街頭対話演説に。
大塚駅では、通りかかった高齢の男性が「ここで共産党に会えたことに感動した」とマイクを握る姿も。
米軍基地問題、消費税問題、通行人が足をとめて聞き入ります。

東長崎駅前では、数日前から商店街を地域の党支部のみなさんがまわって案内をしてくださったようです。
始まる前に商店街を訪ねると「駅前でやるんだってね」と、何人もの方から声をかけていただきました。

東長崎での質問では、「寝たきりの夫を介護している」と女性が、緊張で足をふるわせながらマイクをとってくれました。
「特養ホームに申し込んでも入れそうにない。もう入れてくれなくてもいいから、劇薬を渡してほしい。どうしようもなくなったらこれを飲んでいいと言ってほしい。もう疲れました」
夫は40歳を前にして脳障害で身体機能を奪われ、30年を超える介護生活だと言うのです。

「保険料だけ天引きしておきながら、特養ホームへの入所が必要なのに入れない、これを保険制度と言えるのか。しかも入居費用はホテルコストだと、月15万円もかかるところがほとんど。介護施設はホテルではない!」
私も怒りをこめて、これまでの介護行政を告発しました。
自民党だけの責任ではありません。民主党もホテルコスト導入などに賛成してきた責任があります。
国の税金の使い方をおおもとから変えるときを迎えているのです。

豊島のみなさんと握手をかわして、夕方、今度は新宿駅西口へ。
党女性後援会のみなさんとの宣伝です。
みなさんの元気な演説に力をもらい、私もいつもにもまして元気にはなすことができました。

 

話し終えて、そのまま、宣伝カーのうえで小池あきら参院議員の横で手をふっていると…。
後ろに立っていた女性が、ジャケットのすそをひっぱるのです。
「田村さん、しつけ糸がついたままよ」、糸をとってくれている様子。
スーツも夏のスタイルにと、休日だった昨日、七部袖のジャケットを買ったのです。
まさか、しつけ糸とともに半日行動していたとは…。