コラム
【10.05.24】レポート5 普天間で沖縄の「怒」を体感
基地撤去の希望の火を消すことはできない
嘉手納基地から延々と続く長い長い、長い囲いをやっと離れて、車で1分ほど進むと「あれが普天間基地です」。
「えっ!」 一瞬、言葉を失いました。
基地を離れたと思ったら、もう次の基地のフェンスがみえる…。
基地のフェンスに隣接する普天間第二小学校。
下校時刻を過ぎていて、子どもの姿はまばらです。
車で子どもを迎えに来ている母親の姿もありました。
校門を入るとすぐに「通学路マップ」がありました。
通学路の上には「米軍施設」の文字、通学路の下には「普天間基地」の文字。
4・25県民集会で「フェンスに囲まれているのは、基地? それとも私たち?」と訴えた高校生の言葉がよみがえります。
突然、空が震えました。米軍の輸送機です。
学校の校舎に沿うように、機影が地面にうつる高さで、文字通り私たちの頭上を飛び去っていきました。
空を見上げながら、涙がこみあげそうになりました。
子どもたちの上を、なんで軍用機が飛び交うのか…。
「ゲートまで行ってみましょう」、中村重一さんの案内で、ゲートのそばに車を止めて、フェンスにそった草むらの道を歩きました。
本当の道ではありません。いわゆる「視察道」でしょう。
「監視カメラがあちこちにあって、私の顔はもうチェックされているでしょう」
調査と抗議を繰り返す日本共産党の面々は、米軍にしっかり把握されているのです。
「写真は派手に撮るのはやめておきましょう」
米兵に「何をしているのか」と問いただされ、場合によっては画像を見せろと言われる危険性があるというのです。
「腰の銃に手をかけますからね。軍隊では、それが当たり前のなのでしょう」
草むらの道から金網ごしに、広い広い芝生が広がる普天間基地を見る。
フェンスの中に閉じ込められているのは私たち。
金網に手をかけると「ここから出して」と、声をあげたくなるのです。
地元、宜野湾市議の知念吉男さんの事務所に、住民のみなさんが急遽、集まってくださいました。
突然のお願いにも関わらず、10数人のみなさんがお茶を囲んで待っていてくださいました。
「昨日も、電話している最中にヘリコプターの音がして、なんにも聞こえなくなって…」
「爆音を聞くたびに、もういい加減にしてほしい、という気持ちになる」
「私たちの怒りは昨日、今日のものではない。田んぼもとられ、家を焼かれ、基地がつくられた。私たちの土地を返してほしい、それだけ」
「渡嘉敷島の知人が脳卒中で倒れたときも、ヘリコプターを飛ばすのに、県に要請し、県は自衛隊と米軍の了解をえないとヘリコプターも飛ばせない。一刻を争うときでさえ、米軍にお伺いをたてないといけない、これが沖縄の実情だ」
私たちのこの気持ちがわかるのか、そういう熱が、話すほどに高まってきます。
「政権交代で、これで基地をなくす道が開けると思われたんですよね」と私。
とたんに、集まったみなさんが全員、大きく首を縦に振り、口々に「そう、そう」。
「これでやっと基地をなくせる、とみんな信じましたよ」
一度、ともされた希望の火は、決して消えることはないのです。
日曜日の鳩山首相の沖縄訪問、県庁前につめかけた知念さんは、その時の様子を熱く語ってくれました。
「私たちが抗議のプラカードを足元においていたら、警備の人たちが群れになって私たちの目の前に立った。プラカードを首相に見せない、そういう意図を感じましたね」
「あなたたちは沖縄の者か、本土から来たのか」と、怒りの声もあがったそうです。
「県庁から離れた場所で、アコーディオンを弾いて激励している人がいたんですよ。その人の演奏にあわせて『沖縄を返せ』の歌が始まった。歌声が次第に広がって、県庁前でみんなが歌に加わった。歌詞カードもないし、リードする人もいない。感動したね。沖縄返還闘争を思い出した」
志位和夫委員長がアメリカ政府に、沖縄県民の基地撤去の要求は後戻りは不可能だと伝えた、その意味を文字通り「体感」しました。
基地撤去ができそうかどうか、ではない。
基地撤去の可能性をなんとしても切り拓く、それ以外の選択肢はありえないのです。
沖縄返還前、「沖縄を返せ」の歌声は、沖縄だけのものではなかったと思います。
沖縄と日本国民の思いが重なって、不可能と思われた「返還」を、日米の条約を乗り越えて実現させたのです。
普天間基地の「移設」は、単なる政府間の合意です。誤った合意を国民がただすことが、なぜできないのか。
「政権交代をおこし、市長選挙でも勝利した。それでも基地撤去ができないというのなら、私たちはどうしたらいいのか」
その通りです。政治家は国民の代弁者であるべきです。
「海兵隊の基地はいらない」「普天間基地を沖縄に返せ!」、アメリカに道理をつくして要求する、新しい日本の政治がどうしても、どうしても必要です!
一人ひとりと固く握手をして、記念撮影もして、私の沖縄日程は終了。
1日案内していた中村さんに最後に案内していただいたのは、夕ご飯のお店。
同行した私の事務所スタッフKさんは、「ゆし豆腐」と沖縄の雑炊「じゅーしー」を注文し、私は、豚足の煮込み「てぃびち」。
「勇気ありますね」と中村さん。肉と言うよりも皮を食べている食感。大根や豆腐も入っていて、なんだかおきな和風おでん。
「おでんは別にありますよ。やっぱり豚足は欠かせませんね」
お腹もいっぱいも胸もいっぱい。
実に満ちたりた1日でした。那覇空港で、大急ぎでおみやげを物色して、夜8時50分に沖縄をあとにしました。
強行日程でしたが、行ってよかった!
たった1日の経験が、力をむくむくとふつふつと沸かせてくれます。
「首都圏で、みなさんと同じ思いの運動を起こしますからね」、普天間のみなさんとの約束を果たさなければ!