日本共産党 田村智子
コラム

【10.05.24】レポート4嘉手納基地は地平線の向こうまで続く

空気を切り裂く爆音にさらされる街

 
昼にはあがるという雨が、なかなかやみません。
雨の中、車は嘉手納町へ。とたんに鉄条網のフェンスがえんえんと続く道に。
「嘉手納基地にいくと、沖縄はこんなに広かったのかと思います」と中村重一さん(北谷町議)。

よく見える場所があるからと、案内されたのは「道の駅」。
道を隔てて、嘉手納基地が広がっていました。
左手の基地の境界はなんとか見えますが、右手の境界も、正面の境界もみえません。
視野のすべてが米軍基地!!

 
「道の駅」の展望台では、マスコミのカメラマンが10人近く、天体望遠鏡かと思うようなカメラを構えていました。
輸送機が飛んできました。説明を受ける声が途絶えます。
しばらくして、今度は空が割れるかと思える爆音が突然起こりました。
戦闘機が2機、小さく見えます。爆音以外、なにも聞こえない。爆音が辺り一帯を完全に制する、という状態。
姿が見えなくなってもなお、爆音が尾を引いて残ります。

「本土から沖縄にきた学校の先生が、この爆音に驚いて、一体、どれだけ授業が中断されるのか調べたことがあるんですよ」
ここで中村さんからクイズ。「小中学校の9年間のうち、どれだけ爆音で中断したことになると思います?」
答えは、およそ2年間分!!

 
輸送機も戦闘機も、広々とした芝生の基地に点々としかみえない。
芝生の上は、芝刈り機が何台も行き来をしています。
芝生の中には、ドーム型の建物がいくつもみえました。
「格納庫ですか?」とたずねると、「シェルターです。もしも攻撃を受けるようなことがあれば、米軍はあのシェルターで地下に避難するのです」
えっ? では住民は?

嘉手納基地のすぐそばには、弾薬基地、燃料基地があります。
これも樹木でおおわれていて、まったく見ることができません。
この基地から地下に敷設されたパイプラインや道路で、燃料や爆弾が嘉手納基地に輸送されている。
もしも攻撃をうけたら町は火の海、米軍兵士はシェルターに避難する。
米軍基地は沖縄をまもる役割など全くない、沖縄を危機にさらしているだけではないか!

「道の駅」での視察中、やっと雨があがりました。
それでは、場所を変えて基地をみようと、車で移動。
さっきは見えなかった右手のヘリに向かいました。
この移動中にみえたのは、鉄条網の向こう側のお墓。
沖縄のお墓はまるで家のようなつくりです。先祖を大事に思い、年に一度は一族がお墓の前に重箱を広げ、歌い踊り宴会をして先祖との一日を過ごすといいます。
「その日だけは、基地のなかに入ることが許されます」

小高い丘から基地のヘリを見下ろしました。「まるでモスキートだね」、獰猛な蚊のような姿の戦闘機。
2機ずつコンビを組んで、次々に離陸していきました。
バリバリバリバリ…、空気が切り裂かれていくような轟音。

見下ろしていると、腕や足が猛烈にかゆくなってきました。こちらもモスキートです。
雨が上がって待ってましたとばかりに、草むらから一斉に私たちに向かってきたのです。
かゆみに耐えながら視察を続け、車にもどると「うわ〜!」
開けていた窓から蚊が大量に入り込んでいたのです。懸命に追い払いながらの移動となりました。

嘉手納基地は、嘉手納市と北谷町にまたがり、その中心地を支配しています。
さらにその周辺には、米軍住宅が次々と建設され、海岸近くの一角が「外国」になっている。
この海岸は、沖縄に初めてアメリカ軍が上陸した、沖縄戦の火ぶたを切った地。
その海岸を見下ろす高層住宅は、米軍の家族住宅なのです。