コラム
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【10.05.03】沖縄に思いをよせた憲法記念日
街頭宣伝、そして日比谷での集会
5月3日は、新宿駅東口で毎年、日本共産党街頭演説があります。私が弁士としてたつのは3年ぶり。
夏のような陽射しのなかで、宣伝カーの上へ。
「この街頭宣伝は2007年以来です。その時は、話し終わってみなさんにあいさつにまわると、田村さん、顔が怖い、と言われました」
話の導入で、笑ってもらえました。よかった。
そう、3年前、国会では憲法を変える手続き法、国民投票法を成立させようと、自民党・公明党の「数の力」が吹き荒れていたのです。
憲法を変えなければできないことは、ただ一つ、「武力の行使」。
「戦争をしないと誓った、憲法9条を無傷で子どもたちに手渡す」と、私は声を限りに訴えていたのです。
国民投票法はつくられました。しかし、この3年間、憲法を変える議論は進めることができなかった。
そればかりか、昨年の「政権交代」で、連立政権は合意文書に「憲法に定める国民の諸権利の実現」を掲げたのです。
変えるべきは憲法ではなく、憲法をないがしろにしてきた政治の現実だ!――長年の私たちの運動が見事に新政権の出発点に刻まれたのです。
「支持率の低下に苦しむ鳩山内閣に言いたい。原点に返れと」
うん、うんとうなずいて聞いてくれた女性が、拍手でこたえてくれました。
憲法が掲げる国民の諸権利。25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の権利はもちろんです。
私は加えて、13条「幸福を追求する権利」が、すばらしいと思っています。
「とにかく生きていられればいい」のではなく、明日への生活の向上、希望を求めていくことは、生きていく上で欠かせない権利として、私たちの国の憲法は宣言しているのです。
しかも25条、13条は、この権利を保障することを最優先として政治を行うことを国の責務として明記しているのです。
新しい政治がやるべきことのなんと多いことか!
街頭では、憲法9条にふれて、沖縄の米軍基地の問題を力をこめて訴えました。
基地があるためにどれほど苦しい歴史が沖縄に刻まれたか。
1955年、6歳の女の子が暴行され殺害、米軍のゴミ捨て場に遺棄された「由美子ちゃん事件」。
1959年、小学校へのジェット機の墜落・炎上。17人もの死者、210人の負傷者。
1965年、落下傘でトレーラーを下ろす訓練中、このトレーラーに女の子が押しつぶされる。
1995年、小学校6年生の女の子が3人の米兵に暴行。
読み上げていて涙がこぼれそうになりました。
私の娘も5年生、被害にあった女の子が、どんなに恐ろしかったか、苦しかったか、それを思うと胸が苦しくて苦しくてたまらなくなるのです。
小池あきらさんも、沖縄の問題を怒りをこめて訴えました。
志位委員長がアメリカ大使に、直接、沖縄の声を伝えたこと。
アメリカは民主主義の国、他国の国民の世論を蹂躙し続けることができるのか。
日本には海兵隊の新たな基地はつくらせない、普天間は無条件返還、そのうえで米国がどこかに新たな基地を必要とするのなら、それはアメリカ政府が考え、費用も負担するのは当然のこと。
「そうだ!」と大きな拍手が何度も聴衆のみなさんからおこりました。
宣伝カーからおりると、「沖縄の事件の話はすごかった」「その話の時に、どんどんビラを受け取ってくれた」とのこと。
沖縄だけの問題ではなく、日本国民全体の問題になり始めたことを実感しました。
昼食をすませて、次は、日比谷公園へ。
右翼の宣伝車が隊列をなして、口汚い言葉をまきちらしながら走っています。
警察が日比谷公園に入れないよう、封鎖線を張っていて、私たちの車もなかなか公園のそばに入れません。
こういう光景は本当に悲しくなります。
日比谷公会堂、幅広い市民が「憲法9条を守ろう」と憲法集会に集まっています。
公会堂の中には当然入れず(朝から、整理券を配っていたそうです)、会場外に設置されたオーロラビジョンを見上げます。
伊藤真さんの講演は、ブラックユーモアを織り交ぜながら、「沖縄を他人事としない」立場を力強くよびかけていました。
「鳩山首相の腹案に期待している」「徳之島と提案して、鹿児島県のみなさんが反対に立ち上がる、次は、四国あたりはどうでしょう。その次は中国地方、近畿、東海、東京では広い敷地と道路がそろっている…」
そうやって、日本中が「基地は必要ない」と結論を出せば、どこにも米軍基地はつくれないはず。
民主主義の原点を考えさせる講演でした。
国民が「基地はいらない」と結論をだすかどうか、今度の参院選挙のもつ重大な意味を実感し、胸がたかなりました。
右翼の宣伝車が隊列をなして、口汚い言葉をまきちらしながら走っています。
警察が日比谷公園に入れないよう、封鎖線を張っていて、私たちの車もなかなか公園のそばに入れません。
こういう光景は本当に悲しくなります。
日比谷公会堂、幅広い市民が「憲法9条を守ろう」と憲法集会に集まっています。
公会堂の中には当然入れず(朝から、整理券を配っていたそうです)、会場外に設置されたオーロラビジョンを見上げます。
伊藤真さんの講演は、ブラックユーモアを織り交ぜながら、「沖縄を他人事としない」立場を力強くよびかけていました。
「鳩山首相の腹案に期待している」「徳之島と提案して、鹿児島県のみなさんが反対に立ち上がる、次は、四国あたりはどうでしょう。その次は中国地方、近畿、東海、東京では広い敷地と道路がそろっている…」
そうやって、日本中が「基地は必要ない」と結論を出せば、どこにも米軍基地はつくれないはず。
民主主義の原点を考えさせる講演でした。
国民が「基地はいらない」と結論をだすかどうか、今度の参院選挙のもつ重大な意味を実感し、胸がたかなりました。
市原悦子さんの『ちいちゃんのかげおくり』を朗読。
小学校3年生の国語の教科書にのっている、あまんきみこさんの作品。
子どもの音読で何度も聞いたお話です。
涙がどうしようもなくこぼれました。演じる力のすごさを思い知りました。
朗読を終えて、自らも戦後の飢えを体験したこと、戦争や飢えで命をおとす子どもたちがいなくなることを心から願っていること、市原さんの言葉が胸にしみいりました。
小学校3年生の国語の教科書にのっている、あまんきみこさんの作品。
子どもの音読で何度も聞いたお話です。
涙がどうしようもなくこぼれました。演じる力のすごさを思い知りました。
朗読を終えて、自らも戦後の飢えを体験したこと、戦争や飢えで命をおとす子どもたちがいなくなることを心から願っていること、市原さんの言葉が胸にしみいりました。
政党からは、社民党、福島みずほ党首、そしてニューヨーク訪問中の志位和夫委員長に代わって、日本共産党の市田忠義書記局長。
政権与党の社民党が、「沖縄県外・国外」で、独自の主張を貫いていることは大切です。
けれど、鳩山首相との大きな隔たりをどうするのか。それでも同じ内閣の一員として大臣を続けることができるのか、どうしてもその思いがこみあげます。
さらには、「グアムに移転するのが最良」と強調するのには、強い違和感を覚えます。
日本共産党は国会議員団がグアムを訪問し、現地のみなさんが沖縄と同じように基地被害に苦しんでいることを聞いています。
私たちが「ここに移せ」といわず、基地撤去のみを掲げていることの意味を考えずにはいられませんでした。
市田忠義さんの落ち着いて問題提起する話には聞き入りました。
日本国内への基地移設はどこであっても実現不可能。日本で普天間基地を撤去し、日本の国外でどうするかは、アメリカ政府が検討すべきこと。「そうだ!」、大きな拍手がわきたちました。
集会の終わりが近づくにつれ、銀座パレードの準備が始まりました。
風船のような彩とりどりのジュゴン、マーチングスタイルの子どもたち、思わず笑みがこぼれます。
今年は憲法の実現への元年ともいうべき年になるのでは。
沖縄で後戻りできない、臨界点をこえた世論。
基地をなくして、本当に憲法9条を実現するのか、新たな基地建設に踏み出し軍事大国の道を歩むのか、その岐路がはっきりとみえてきました。
政権与党の社民党が、「沖縄県外・国外」で、独自の主張を貫いていることは大切です。
けれど、鳩山首相との大きな隔たりをどうするのか。それでも同じ内閣の一員として大臣を続けることができるのか、どうしてもその思いがこみあげます。
さらには、「グアムに移転するのが最良」と強調するのには、強い違和感を覚えます。
日本共産党は国会議員団がグアムを訪問し、現地のみなさんが沖縄と同じように基地被害に苦しんでいることを聞いています。
私たちが「ここに移せ」といわず、基地撤去のみを掲げていることの意味を考えずにはいられませんでした。
市田忠義さんの落ち着いて問題提起する話には聞き入りました。
日本国内への基地移設はどこであっても実現不可能。日本で普天間基地を撤去し、日本の国外でどうするかは、アメリカ政府が検討すべきこと。「そうだ!」、大きな拍手がわきたちました。
集会の終わりが近づくにつれ、銀座パレードの準備が始まりました。
風船のような彩とりどりのジュゴン、マーチングスタイルの子どもたち、思わず笑みがこぼれます。
今年は憲法の実現への元年ともいうべき年になるのでは。
沖縄で後戻りできない、臨界点をこえた世論。
基地をなくして、本当に憲法9条を実現するのか、新たな基地建設に踏み出し軍事大国の道を歩むのか、その岐路がはっきりとみえてきました。