日本共産党 田村智子
コラム

【10.04.23】冬の雨風のなか演説会、基地調査

連日の寒さに負けないけれど…

 
いったい春はどこに行ったのか、22日にまた冬が戻ってきて小学校の遠足は「延期」。
前日があたたかい一日だっただけに、娘の憂鬱に拍車がかかりました。

21日も夜が演説会で帰宅は夜10時前。娘はまだ寝ないで熱心に何かを書いています。
「何してるの?」――無言。最近の連日の演説会にちょっと怒りモードのようです。
そのうち、ベランダの戸をあけて物干しに何かをつるし始めました。

「照る照る坊主作ったの?」
「そう、だって絶対に明日、遠足に行きたいんだもの」
「でも冬の寒さに戻るんだってよ」
「いいの、アスレチック公園だから、動けば暑くなるよ」

22日の朝、どんよりした雲。でも照る照る坊主の効果か、雨は降っていません。
天気に関係なくお弁当なので、娘のリクエストの通りに、から揚げや玉子焼きを作りました。
「これでいい?」「うん!」
出かけるときには、ポツポツ極小の雨が降っているような…
「傘はもってかない」と、上着のフードをかぶっていきました。
まるでこの天候に抗議行動をしているようです。

間もなく、雨はどんどん強くなり、寒さも真冬のよう。
夜の豊島区の演説会は、会場に暖房が入らず(切り替え作業を終えていて、物理的に無理だったようです)、雨にぬれて参加したみなさんは、本当に寒かったことでしょう。
悪天候のなか、ありがとうございました。

23日、まだ雨はあがりません。朝7時に家を出て横浜駅へ。
神奈川県平和委員会、安保破棄実行委員会が主催する米軍基地調査です。
観光バスで、2日間かけて基地をめぐる行動を毎年、安保条約発効の日にあわせて続けているとのこと。

しかも主催するみなさんは、何か動きがあればすぐ調査して、市民に動きを知らせ運動を呼びかける。
神奈川で基地問題が、いつも政治の熱い焦点となっているのは、この努力があってこそ。

私は夜の新宿区の演説会のため、途中までの参加でしたが、返還された上瀬谷基地(横浜市瀬谷区)、厚木基地、キャンプ座間、そして相模原補給廠(ほきゅうしょう)をめぐりました。
通信基地だった上瀬谷基地は、ソ連崩壊とともに通信傍受のアンテナが撤去されていったといいます。
使われていないことを示して、返還の声をあげたのは市民です。日米合意でも、使用していない基地は返還することになっている、運動があってこその返還です。

説明を聞きながら、「使用している基地も返還させる」という運動が、この数年、大きく広がっていることを思いました。

厚木基地は、レーダー傍受の大きなお皿を載せた米軍機が低周波のエンジン音を轟かせていました。
いつ離陸するのかとしばらくみていたのですが、一向に動く気配がありません。
動かないのに、このエンジン音。

キャンプ座間では、ゴルフ場のわきを歩きました。
雨がどうにかあがって、ゴルフ場のなかにはコースを回る人の姿も。日本人のようです。
日本国民の税金で整備されているゴルフ場、米軍は、利用料をとって日本人にもプレをさせているとのこと。
なんで基地にゴルフ場が必要なのか、なんで日本人からお金をとるのか。
ゴルフボールが飛び出して民家の窓ガラスを直撃した現場も目にやきつけました。

 

そして広大な、あまりにも広大な相模原補給廠。
軍隊の活動に必要なものはすべてそろう、と言われている後方支援の最前線基地です。
「ベトナム戦争のときには、戦車の整備をすると、キャタピラに巻き込まれた人間の腕が出てきたこともあった」
この基地、写真やノートに記録することは「禁止」だと掲示してあります。
後方支援が、軍の作戦遂行にとってどれだけ重要なものかを暗に知らせています。
カメラに気づいた米軍兵士が銃を向けたこともあったと言います。

相模原でさようならをしたバスは、この後、静岡県東富士の演習場まで行く計画。
「雪でも降っているんじゃないか」という言葉が笑い話でなく出てくるのです。
なんという天候でしょう。
雨にも雪にも、私たちは負けないけれど、それにしても、あまりにも異様な天候です。
農家の方々が、この低温、雨、遅霜と格闘していることを思うと、「野菜の前倒しの出荷」を要請する政府の言葉にあきれてしまいます。

学校の遠足もなんと6月までの延期。
夏はちゃんと気温があがるのか、そんなことまで心配になるこの頃です。