日本共産党 田村智子
コラム

【10.04.15】ふるさと小諸市で演説会

「智ちゃん」と呼ばれた頃を思い出しながら

 
「冬の寒さがもどってきます」と天気予報。
よりによって信州に行く日に…と思いながらも、気持ちは明るく、上野駅から新幹線にのりこみました。
小諸市の実家から徒歩数分の会場で演説会。
長野県は、かわえ明美さんの活動範囲ですが、小諸では田村(山崎)つながりで、日本共産党への支援を広げようとの試みです。

「智ちゃん」と呼ばれて、18年間の成長を見守ってくださったご近所のみなさんを前に、政治の話をするのは、実はとても照れくさい。
けれど、日本共産党のことが身近に感じてもらえれば、こんな嬉しいことはありません。

午後4時頃、演説会より少し早めに実家に到着。
まず雑草だらけになっている庭へ。
この数年、年に何回か実家に帰ると、草むしり、球根や苗の植え付けをして、なんとか庭といえるようにと手を入れてきました。
「あれ、あじさいは?」――日当たりが良すぎて根付かなかったか…、残念。
東京で育てていたクリスマスローズの根、新芽が出て、花を咲かせていました。
チューリップも、ほとけのざとナズナに囲まれながらも、つぼみを開き始めています。
草むしりをしたいところですが、今日は見るだけ。

午後6時前、家を出て会場の農協の会館に。
選挙区の予定候補の中野さなえさんと一緒に、握手でみなさんを出迎えます。
隣近所の方々、高校の先輩のお母さん、父のゴルフの先生…。
遠慮してあいてしまった一番前の席以外は満席で、途中からは、後ろにイスを追加していました。
140人ほどのみなさんが集まってくださったのです。

40分いただいた時間で、なぜ私が日本共産党という生き方を選んだのか、今、どんな日本をめざしてがんばっているのか、お話をしました。
目の前に座った母親からは少し視線をそらしてしまいます。
なんだか恥ずかしいという気持ち。それだけでなく、これは私の立場からの話で、両親が私の青年時代にどれほどの苦悩をしたかは「親の心子知らず」だと思うと、胸がチクリと痛むのです。

「働く人の誇りを傷つけるような政治は許せない」
この間の農協のみなさんとの懇談にもふれて話しました。
農家のみなさんの本当の願いは、収入が足りない分を補填してほしいことではない。
農作物が適正な価格で取引され、働きに見合って正当に収入を得ることだ。
産業としての農業を育てること。
何人もの方々が大きくうなずいていました。
活動範囲が広がって、神奈川や千葉の農業の問題にふれたことで、小諸のみなさんともさらに深く心を通わせることができたように思えます。

プログラムの最後に、小学2年生から卒業まで担任だった小宮山富美子先生のメッセージが紹介されました。(小諸では「クラス替え」がなく、先生も生徒も5年間一緒でした。)
ご自身のお母さんを昨年101才で送り、ごく最近、妹さんを亡くされたとのこと。
そんな大変ななかで、昔と変わらぬ、力強い筆跡でのメッセージ。
病院でお母さんや妹さんを看取るときの様子もお書きいただいて、弱いものへの思いやりのある政治への期待をこめてのメッセージでした。

5年生に進学した日、先生は「高学年を受け持つのは初めて」と私たちに話をされました。
そして自分が5年生の時、終戦、満州から朝鮮半島の38度線を超えようと必死の逃避行をしたことを丸一日かけて話してくださいました。
当時5才だった妹さんの手を離さぬようしっかり握り、泥水を飲み、飢えと恐怖とたたかいながら日本にもどってきた。
いつか自分が5年生を担任することがあったら話をしようと、思い続けておられたことでしょう。
今日まで、私が受けた授業のなかで一番、記憶に刻まれた授業でした。

日本共産党に入ってから、私はしばらくの間、子ども時代につながりのあった人たちとの連絡を絶っていました。
両親との心のすれ違いが、他の人とも同じように起こるのが怖かったのです。
時を経て、やっとおだやかな気持ちで、「智ちゃん」と呼んでくれた方々ともう一度向き合うことができるようになりました。
小宮山先生のメッセージは、幼い頃の私と今の私を一つのものに包み込んでくれました。

演説会終了後、小諸の党支部・後援会のみなさんと懇親会。
父と一緒に参加して、杯を重ねながら親しくお話ができました。
「会場がいっぱいになって本当によかった」、達成感にみたされた笑顔です。

小諸での党活動の歴史も、いろいろお話を聞くことができました。
浅間山の周辺も、アメリカ軍の演習場にしようという計画があり、住民運動で撤回させたという歴史を聞いたのは初めてのことです。
「知らなかったの?」「勉強不足でした。日々、精進ですね」

「入党したらまわりの人の私を見る目が変わるのでは」と逡巡したことも、演説のなかで話しました。
「私も、党の活動を始めたら、家の近所を警察が何度も巡回するようになって、本当にいやな思いをした」
「ソ連や朝鮮からの引き上げは、共産党はおそろしいもの、と体験で植えつけてしまった」
「時代はだいぶ変わった。今度が本当にチャンスだ」

生まれ育った地域での党活動にさまざまな困難があったことでしょう。
そうした「反共」を根こそぎにしていく、それが今度の参議院選挙なんだと、みなさんのお話に耳を傾けながら考えていました。

 
夜11時半頃、母と飼い犬ロッキーが待つ実家にもどると、ロッキーは嬉しくてまとわりついて離れません。
2年前の夏休み、子ども2人が生後半年のミニチュアダックを連れて小諸へ。
以来、実家で私たちの代わりに飼ってもらっている犬です。
小諸行きの前日、一晩だけ東京の我が家に泊まったのですが、初めての飼い主となった私や子どもたちのことが大好きなのです!

娘は今回の小諸行きに「ずるい! おかあだけロッキーと遊んでくるなんて」とふくれていました。
今回は仕事での帰省でしたが、次は、プライベートでゆっくりきて、それから国会議員になって来年1月の小諸市議選の応援にも駆けつけなければ!
日付が変わる頃、高ぶる気持ちを抑えながら、懐かしい部屋で眠りにつきました。