コラム
【10.04.12】井上ひさしさんの「仕事」を思う
突然の訃報から一夜があけて
昨日朝のニュースで、作家、井上ひさしさんが肺がんで亡くなられたと知りました。
今朝は新聞休刊のため、大きく記事が掲載されたのは今日の夕刊が最初です。
いくつもの記事を読んで、あらためて、井上ひさしさんの「仕事」の大きさに感銘をうけています。
私が初めて井上作品に接したのは、20代の頃。
新宿紀伊国屋で、劇団こまつ座の舞台『たいこどんどん』を見たのが初めてだったと思います。
苦労知らずで遊び人の若旦那と、若旦那に言われると「いや」とは言えない太鼓持ちの桃八の珍道中。
江戸を離れて何年も旅を余儀なくされ、やっと江戸に戻ると、時代は「文明開化」。
話の面白さもさることながら、激動の時代の一場面を鋭く切りとった作品のいくつもの場面は胸にやきつきました。
若旦那の口八丁で、桃八が佐渡の金山に売られてしまうシーン。
奴隷のような労働、おどろおどろしい演出で、若旦那言いなりの桃八が恨みをこめた台詞を叫ぶ。
そのわずかな時間のシーンは、深く胸につきささりました。
この過酷な労働で片足を失ってなお、桃八は若旦那と再会すると、また太鼓持ちに戻ってしまう。これが喜劇の喜劇たるゆえん。
けれど、ラストシーンで、変わり果てた江戸の町で、「文明開化」の流れに飲み込まれながら歌い踊る二人の姿は、喜劇ではなく悲劇として印象に残りました。
この作品で、井上ひさしさんに興味を持ち、いくつかの文学作品を読みました。
自叙伝に近いと思われる「モッキンポット師シリーズ」は、貧しさのなかのユーモア、貧乏学生の生命力に、声をたてて笑いました。
戦争末期から占領期の日本、漢字文化をおりまぜて、とても興味深く読んだのが『東京セブンローズ』。
新聞報道で代表作としてあげられる舞台、作品の数々、「遅筆」と自らを評しながら、なんとたくさんの傑作を産み出してきたことか。
「観たい」「読みたい」欲求がこみあげてきます。
日本ペンクラブの会長となってから、イラク戦争に抗する活動、「9条の会」の活動など、世に堂々と物申す姿に、どれほど勇気を与えられたか。
3年前の都知事選挙で、吉田万三さんの応援に駆けつけてくださいました。
宣伝カーのなかで初めて、間近にお会いして、気さくに吉田さんとお話する姿。
憲法9条を変えるという動きには、躊躇せず立ち向かう、今、それをやらねばという決意がひしひしと伝わる演説。
この時代の激動のなかで、これからもっと大きな仕事ができたのでは…。
それを思うと本当に残念で残念でなりません。
けれど、井上ひさしさんの「仕事」は、ここで終わりではありません。
井上ひさしさんが担ってきた大きな大きな「仕事」は、とても私の力量では担え切れない。
けれど、今度はたくさんのたくさんの担い手が「仕事」を受け継いでいる。
しっかり歩んでいこう。日本という国をつくっていこう。
訃報の悲しみ、無念は、それで終わらない気持ちをかきたてています。