日本共産党 田村智子
コラム

【10.03.17 】華やかに しなやかに 東京「女性のつどい」

世代をこえて女性の願い実現へ

 
中野ゼロの大ホールへ向かう坂道。
寒さがぶり返して、駅からの道はひんやりとしています。
女性数人が同じ道を歩いていれば、おそらく行き先は同じ。
追い抜きながら、振り返ると、やっぱり「あら、田村さん」と声をかけていただきました。

控え室では、着物姿でお茶をいれてくださる後援会の方。出番をまって衣装に着替える若者たち。『お国言葉で憲法を』を手にした大原穣子さんの姿も。
すぐに、笑顔のあいさつとおしゃべりが始まりました。これが女性のパワーです。

オープニングは、学生バンド。打楽器も首からつるして演奏するので、きっとどこでもすぐにコンサートと活動しているのでしょう。
若さがはじける演奏が、会場の雰囲気を一気にもりあげてくれました。

各世代の女性たちが、自分の要求と日本共産党への期待を語るビデオが上映され、いよいよ私の出番です。
女性の願いにこたえる議席をと、思いはいっぱいあるのですが、時間が限られている、何を話そうかと、一日考え続けていました。

この5ヶ月ほどの活動で実感してきた、どんどん広がる日本共産党への期待。
そして政策にかかわっては、子育て要求に焦点をあてました。

会場には、70年代に「ポストの数ほど保育所を」と地域で一生懸命運動を担ってこられた方が多数参加していたと思います。
それ以前には、子どもを木にひもでしばりつけて、あるいは押入れに閉じ込めて、働きに出た、そんな思い出しても胸の痛む経験もあったでしょう。

女性の連帯と運動が、今日の保育制度をつくり発展させてきた。
それなのに、政権が変わってなお「規制緩和」の名のもとに、築かれた制度が崩されようとしている。黙っているわけにはいかないのです。

12分間のあいさつを終えると、たくさんのたくさんの拍手をいただきました。
「今度こそ」の思いがまた募ります。

控え室に戻ってまもなく、なんと秩父から田中美智子さんが到着。
真っ赤なコートにおしゃれな帽子。コートをとると、紫がかったピンクのスーツ!
米寿を迎えたという田中美智子さん。衆議院議員の時代には、女性問題を徹底的にとりあげ、職場での女性差別を国会で堂々と告発した、いくつもの武勇伝をもつ方です。
「候補者で終わってはダメよ。必ず国会に行きなさい」
出番を前にして、何度も激励していただきました。

大原穣子さんの「お国言葉で憲法を」の朗読と、はつらつとしたメッセージ。
松井朝子さんのパントマイムには、小池あきらさんも飛び入り参加。大きな風船をふくらませて、会場と舞台でラリーするパントマイムに、会場は大盛り上がり。
これは、子どもたちへの読み聞かせのとき、前後でやったらいいぞ、と思わずチェック。

田中美智子さんは、自身の経験にもふれながら、女性の解放にとって、国会での日本共産党の議席がいかに大切かを、力強く話してくださいました。
私も今一度、国会での日本共産党の女性議員の活動を学びたくなりました。

 
小池さんへのインタビュー。
政治の焦点を、縦横無尽、ユーモアたっぷりに、小池節がさえ渡りました。
保育問題では、翌日の国会質問で準備している内容も紹介してくれました。
土地がないという東京では、未使用の国有地がどれだけあるか、調査をふまえて質問するというのです。
「待ってました」と思える質問。これが国民の代弁者であり、建設的野党の役割。

話を聞いていて思い出しました。
私も何度か、地方議員とともに財務省に要請したことを。
「国有地を民間デベロッパーに売り渡すのでなく、市民、国民のための活用を検討してほしい」

プログラムの最後に、小池あきらさんと再びステージへ。
各地の女性後援会のみなさんが、よせがきやストッキングや人形やお菓子や花束を、次々とプレゼントで届けてくださって、ステージは大変なにぎわいに。
笑顔、笑顔のフィナーレとなりました。

激励の笑顔はほんとにこれまでもたくさん受けてきました。
今度は、勝利の喜びの笑顔をわかちあいたい。
「今度こそね」「がんばるからね」、帰りの握手では「がんばって」ではなく、「がんばります」の声を本当にたくさんいただきました。
さあ、あと3ヶ月と少しの間。このがんばりを日に日に広げていきましょう。