日本共産党 田村智子
コラム

【10.01.20】「たばこ病」裁判の判決にかけつけて

次への思いをこめた「曖昧判決」の文字

 
横浜地方裁判所、1時10分からの開廷を前に正面玄関に人だかりができました。
マスコミのカメラも、車椅子に酸素吸入の水野雅信さんをとらえています。

重い肺気腫をわずらい、入退院を繰り返す水野さん。呼吸ができないという苦しさは、生きていくうえでのあまりにも大きな障壁です。
長年、大量の喫煙をしてきた。それが病の原因ならば、同じ苦しみを広げてはならない。

「たばこ病」裁判はそういう裁判なのだと、訴状を読んで思いました。
なぜ、国民の健康を犠牲にするたばこを国の基幹産業にしたのか。
危険性を知りながら、たばこ被害を食い止める方策をとらなかったのか。

「喫煙している人の自己責任」という風潮がまだ強い中で、依存性の高いたばこを野放しにしていいのかと、身をていして訴えることには、多くの困難があったことと思います。

たばこの問題は、個人の嗜好の問題。これは長く私たちのなかにもあった考え方でした。
それほどまでに、愛煙家が身近にも多かったためでしょう。
しかし、こうした裁判闘争、たばこの害の事実が、次第に世の中を変え始めたと思います。

健康被害を真正面から考えよう、子どもたちが喫煙に向かわない努力をしよう、ここまでは多くの国民のみなさんとの共通の考え方が築けるまでになった、大きな成果です。

でも、ここからさらに一歩すすめるのは、また難しい。
喫煙している人に「絶対にやめなさい」とたばこをとりあげることはできないし、葉タバコ農家はかなり減少しているにしても、たばこの販売を生業としている方もいる。
だからこそ、政治がねばりづよく、たばこ被害の根絶を掲げてがんばらないと。

判決を知らせる弁護団が、裁判所から姿を見せたのは午後1時40分。
「煙害認めるも 依存性認めるも 曖昧判決」

訴えは却下されました。国の責任、日本たばこ産業の責任は認めない。
しかし、たばこが深刻な病を蔓延させ、激しい苦痛を与えるものであることを認めて、立法府がなんらかの方途を考えることを示唆するものとなりました。

一歩は切り拓いた。次の一歩をどう拓くか。
そんな決意にみちた言葉。

厚生労働省の調査でも、タバコが要因のひとつとなっての死者は年間11万4000人をこえているとのこと。
交通事故死を上回る健康被害をどうするのか。
喫煙者の責任だけにはできない大きな問題だと、私もこの裁判を知る中で考えさせられています。

目の前で知人が「たばこ吸っていい?」と聞いてきたら、どうするか。
依存の苦しさを理解しながら、喫煙者を邪魔者扱いするのではなく、どうやって問題解決に向かうのか、これは多くのみなさんとも考えあいたい問題です。