日本共産党 田村智子
コラム

【10.01.13】日本共産党第25回大会はじまる!

新しい政治の実現への展望をみんなで討論、みんなで方針決定

 
伊豆多賀駅から坂をのぼること約30分。
党大会の会場、伊豆学習会館があります。
日本共産党の建物です。敷地の木を切りやぶをかり、石を動かして整備をしたのは、1950年代の若い党員たちだったと聞いています。

全国から代議員約1000名が集まり、今日から3泊4日で党活動の大きな方向を討議し決定します。
風が冷たく手袋が恋しいのに、急な坂道をのぼっていくうちに、上着を脱ぎ、汗をぬぐう。
「あ〜伊豆の学習会館にやってきた」、と実感する瞬間です。
前回、第24回大会は2006年1月。私がはじめて党大会に参加した大会でもありました。

駅からの道、各県からのみなさんとにこやかなあいさつが続きました。
「お久しぶり」「新聞でいつも見てますよ」「今度こそ国会へ」…
青年時代にいっしょに活動したなつかしい仲間、この数年であらたに知り合うことができた全国の仲間、国会秘書時代の同僚などなど。

今回初めてお会いする方々とも、坂道を汗をかきかきのぼっていくと、それだけ連帯感が生まれるから面白い。
年配の方の後ろから追い越すときにあいさつをかわすと、「ここへ来るたびにきつくなる。自分の年がわかりますわ」
党大会と自身の人生が重なる生き方をされてきたのでしょう。深い言葉の意味が胸に響きました。

最後の急勾配をのぼり、会場の入口へ。
ほぼ海岸線だったところから標高170mはのぼってきたでしょうか。
汗をぬぐって、玄関前の冷たい水や麦茶のサービスコーナーへ。
すぐ隣には書籍販売のコーナーもあります。
前回4年前、「子どもの本お楽しみ袋」(1万円分がなんと1000円!)を私も買いましたっけ。

大学のマスプロ授業を思い出させる会場は、いすも机も年代物がそろっています。
ここで4日間、さまざまな党活動の経験を発言として学ぶのです。

午後1時、開会。
在日大使館から来賓として参加いただいた国の紹介から始まります。

志位和夫委員長の報告は、3時間をゆうに越えるものとなりました。
迫力を最後まで保ったその気迫と体力は、ほんとにすごい!
そして、その内容も、時代の大きな流れ、歴史のダイナミズム、国民の要求の躍動感、日本共産党の可能性に満ちたものでした。

自民党政権をくずした、国民の選択で政治を変えることができるという国民的な体験は、これからさらに政治を動かす力になる。
「政権与党だから、自民党に頼るしかない」という「縛り」がなくなり、重石がとれて、さまざまな団体が自らの要求をまっすぐに掲げはじめた。
その要求の実現のために、日本共産党とも意見交流し、協力する時代になってきた。
志位さんの報告でも、その後の発言でも、「こんな短期間にこれほどの変化が起きるものなのか」と実感できるものでした。

特に熱がこもったのは、沖縄の普天間基地問題でした。
「これが対等の日米同盟といえるのか」と具体的な事実をあげての告発には、会場から嵐のような拍手が何度もおこりました。
沖縄県民から強奪した土地に居座りつづけ、周辺に民家があるのは沖縄の人たちの責任といわんばかりの態度。

伊江島、下島を上空から見て、基地移転ができないかを検討する−−思いつきのように沖縄県民の心を愚弄する。
民主党政権のやり方には心底怒りがわいてきます。

ゆきづまった日本の政治を民主党政権では打開できない。
アメリカにも、利潤追求の権化となった大企業にも、意見がいえる、国民の利益を守るためにがんばりぬける、そういう政治がどうしても必要だ!

参議院選挙で、どうしても、どうしても議席を伸ばさないと。
多数者の思いにこたえる政策が、多数者のものにならないと。

午後6時、一日目の議事終了。
山の中は道が暗く、臨時の照明も置かれています。
足もとを照らすために懐中電灯を持参した人も。
危ないので足元を見続けていましたが、ふと空を見上げると都会では見られない星空。

オリオンの三ツ星のすぐそばに砂粒のような星群。
空を見上げたら足元が危ない道、ほんとは立ち止まってしばし空にみとれていたいようでした。

4日間、山にこもるみたいに時間も連帯感も凝縮して、たくさんのエネルギーを身体にためこみたいと思います。