コラム
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【10.01.07】「公設派遣村」を訪ねました
一人ひとりによりそう支援を実現したい
「トラックが行き交う殺伐とした光景。東京湾沿いの一角に、移動した「公設派遣村」がありました。大田区なぎさ寮。小池あきら参議院議員とともに訪ねました。
「なぎさ寮」の名前をはじめて聞いたのは昨年のことです。
日雇いで食いつないでいるホームレスの人を、仕事のない年末年始に限定して「支援」する越年施設。
昨年、私たちが街頭相談で出会った住まいを失った若者の何人かが、「なぎさ寮」に入所することになり、住環境の悪さを指摘する声を何度も聞くことになったのです。
30人が一つの部屋に雑魚寝。私物の置き場もない。近くに買い物する場所もない。
話を聞くほどに暗い気持ちになったことを思い出します。
1月3日も移動前の「公設派遣村」を訪ね、国立青少年オリンピックセンターのなかに入りました。
個室で清潔な建物、完全暖房の施設内。
ここなら体を休めることができると安心すると同時に、5日以降は「なぎさ寮」という話も聞こえてきただけに、あまりのギャップにショックが広がるのではと不安も感じていました。
「なぎさ寮」の建物の一つは、ボランティアで入所者の相談をうけてきた「ワンストップの会」の相談会場となっていました。
東京都との交渉を繰り返して、やっと「派遣村」の中に相談場所を確保できたのです。
「会」の方に話を聞いているわずかな間にも、数人の相談者が訪ねてきました。
「区役所に生活保護申請に行っても、自治体によって対応がまったく違う」
「生活資金貸し出しの説明しかしてもらえなかった」
「施設への入所をすすめられ、断ると、生活保護は却下だといわれた」
報告される自治体の対応を、次々手書きで書き込んでいくスタッフ。
この水際作戦が、生活保護を受けるのは「恥ずかしいこと」という意識をも生み出しています。
自立への一歩として、生きていくために必要な制度を利用する、それがなぜこんなにも難しいのでしょう。
首都圏青年ユニオンでがんばっている河添書記長が、憤懣やるかたなしという表情で「聞いてください」と声をかけてきました。
「畳をしきつめただけの部屋に30人、35人つめこむ。これが人間の住むところですか」
私物は布団の足元に置く、盗難がおこる、トラブルがおこる、
夜にはいびきや歯ぎしり、寝返りで、安眠できない、ストレスは限界だ。
「収容」という言葉がうかんできます。
オリンピックセンターに入所している間に、一人ひとりの相談にのってカルテをつくって、どんな支援策があるのか説明する、こういう支援が何もなかったことも重大です。
「生活保護は区の仕事だから」と、手をこまねいている東京都。
生活保護は国が法律で定めた国の施策です。自治体は窓口となっているにしても、だから東京都は各区に入所者をわりふっておしまい、でいいのか。
国も、相談の内容や自治体の対応をつかめば、今後の失業者対策に生かせるものがたくさんあったはずです。
飲酒、無断の退去など問題が起きるのは、入所者の責任もあるでしょう。
けれど、希望もみえず「収容」され、安眠もできないストレスが要因になってはいないのか。
小池あきら参議院議員とともに、「大部屋に雑魚寝で感染症がおきたらどうなるのか」「医療関係者のボランティア活動をみとめないというが、部屋をまわって血圧測ったり相談にのることは必要」などなど、現場所都の職員に要望しました。
3日に「派遣村」を訪ねたときには、入所者の方と親しく話すことができました。
「昨年は、派遣村のニュースをみて大変な人がいるんだと思っていたのに、まさか自分がここにいるとは」
若い人、現役世代が大半です。
建設不況で会社が倒産、自動車関連工場を「派遣切り」にあった、家賃が払えなくなるとあっという間に転落してしまう、住所がなくなると運転免許の更新できず失効…
これを「自己責任」で片付けられるのか。「自己責任」だと言ったところで、なんの解決にもならないじゃないか、いろんな感情が沸き起こってきました。
一人ひとりが自立の道を歩むためには、就職、住まいの相談を本気でやらなければなりません。
この人は社会のどんな分野で力を生かせるか、そういう立場で相談にのることはできないのか、支援策を示すことはできないのか。
今の政治にそれができないなら、政治を変えなければ。
「なぎさ寮」を出ると、夕日がまぶしく湾岸の建物と道を照らしていました。
夜になれば、また安眠のできない部屋につめこまれてしまう入所者のみなさん。
まだ「つらい」体験を繰り返さなければ、自分の住まいを持つことができない、なぜそこまで追い詰めるのか。
「収容」から「支援」へ転換させるために、何ができるのか。
党都議団と知恵と力をだしあって、国にも東京都にも声をあげていく決意です。