日本共産党 田村智子
コラム

【09.12.06】つらい体験をのりこえて

保土ヶ谷区で入党のはたらきかけ

 
今日の最初のスケジュールは新日本婦人の会神奈川県本部の大会。
はたの君枝さんとともに招いていただき、来賓あいさつ。
「会長をつとめておられた井上美代さんの秘書として国会で働いていました」
と自己紹介すると、ちいさく「へぇ〜」「おぉ〜」と会場の声。

べビーカーを連ねての国会前のパレード、山積みの国会請願署名、井上美代さんと国会で受ける側にいた私は、この女性の声が新しい政治を拓く確かな力だったと実感しています。

この大会に向かうまでに私の失敗がありました…。
初めて乗車した相模鉄道で、行き先が途中で分かれていることに気がつかず、
電車は、ただりつきたい駅から離れていってしまったのです。
みなさんのフォローで無事に時間に間に合って会場に入れましたが、反省、反省。
活動範囲が広がって、鉄道路線にだんだん詳しくなりそうです。

大会会場を出ると、「富士山がとってもきれいに見えたわよ」とはたのさん。
見上げるとぬけるような青空。冬は空が高い。
ここではたのさんと別れて、私は横浜市保土ヶ谷区へ。

地域の党支部の方と訪問活動です。
最初にたずねたKさん、足が不自由だとお聞きしていました。
団地の部屋にあげていただき、車や車椅子を利用できないか、生活の相談のお話もお聞きしました。

「足はひざが悪いのですか?」とたずねると、ズボンをあげたKさん。
肉がいったんそげおちたような状態で、思わず息をのみました。
どんなけがだったのか、口をにごした様子に、私もそれ以上はたずねることをやめました。

けれど、子ども時代のこと、働いていたときのこと、ぽつりぽつりとお話いただくなかで、
「実は、電車にとびこんで脚はどうにか切断を間逃れた」
バブル時代の過労も一因だったようです。

初対面の私にそこまで話しいただいたことに、日本共産党への信頼を感じて胸がつまりました。
世の中を一緒に変えていく、というだけでなく、党に入って支えあって生きていきませんか――そんなよびかけに快くペンをとっていただきました。

曲げることのできなくなったひざ、痛みはひざだけではなかったでしょう。
一人暮らしの部屋に、気がつくとネコがおとなしく座っていました。
「癒されますよね」
「保健所で処分されるというので、もらってきた」とKさん。
やさしいおだやかな眼差しをネコにむけると、声をださずに鳴くポーズをしてこたえるネコちゃん。

そんなおだやかな日々を、困難かかえる方々にどうしたら保障できるのか。
Kさんのこれからのくらしに、私たちが元気や勇気をじんわり伝えることができればと思います。

その後の訪問も心があたたかくなる場面がいくつもありました。
保土ヶ谷区の社宅に住み、工場で働いてたAさんが、かつての同僚や先輩をたずねて、赤旗しんぶんをすすめるのに同行。

あるお宅では「主人はなくなったんです」と高齢の女性。
「でも、こうして訪ねてくださるのは本当に嬉しい。新聞くらいならおつきあいしましょうかね」
嬉しくて、そしてたずねた夫さんにもごあいさつしたくて、
「よろしければお線香あげさせていただけますか?」

ご仏壇に手をあわせて失礼するつもりが、「どうぞお茶を」。
おいしいお茶とみかんをいただきながら、こたつでしばらく談笑となりました。
社宅時代の話、退職してからの夫さんの思わぬ一面(手芸をやっておられたのです!)、
「一人だと話す相手もいないから、楽しかった」と満面の笑顔で送り出していただきました。

労働者の町の人情は、今も健在だ!
社宅や下町の光景はどんどんなくなり、一戸建ての新築の家が増え続けているなかで、
私たちが街の絆となれれば、そんなことも思いながらの行動でした。