コラム
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【09.11.22】田村智子が国会に行ったら・・・
千葉県で二つの「語るつどい」
暖房機をめいっぱい働かせても、上着がほしくなる寒さ…こんな日に、しかも急に設定したという「つどい」に集まっていただけるか、そんな思いは全くの杞憂でした。
午前中、千葉県柏市の党のみなさんが「突然企画」してくださった「田村智子さんを囲むつどい」は、最初用意した椅子が足りなくなりました。
初めてお会いする方に、どんな話をしようか考えて、自己紹介を柱に政治革新への思いを語りました。
高校生で原爆資料館を見た衝撃、核兵器で人類は滅びるしかないと思い続けた日々、
そして日本共産党との出会い。
候補者として活動を始めた頃、入党の初心を語ることで私という人を知っていただくとりくみを続けていたことを思い出します。
しかも今は、「核兵器廃絶」がもっと現実の課題としてひきよせられる、そんな時代の動きがあるのですから、この2,3年でなんと世界は動いていることでしょう!
午後、流山市では、計画が早めに立てられたこともあり、さらに多くの参加者。
フランスに長く住んでいたアメリカ人の青年が、フランスの教育や社会保障の話をして、日本の社会保障や教育の貧困さをうきぼりにしたり、
現役の国会秘書のOさんが、国会の変化を生々しく語ったり、
企画も工夫されていて、私も「聞く」楽しみがありました。
私の話は、今度は「政治をどう変えるか」
何しろ、この集会のテーマが「田村智子さんを国会に送れば、政治はどう変わるか」ですから。
どちらの集会も、懇談の時間がたっぷりあって、今の政治への思いや意見も語り合いました。
C型肝炎を抱える女性、「市の助成金が打ち切られた」悔しさを語り、
脊髄梗塞という非常に珍しい病に突然おそわれた男性も、医療機関も認識していない病気のため、特別な保障はなにもないと、実態をかたってくれました。
医療の充実は国民みんなの願いでしょう。
病気の苦しさで充分なんです。経済的な支え、社会参加の支援は、政治の最低限の責任だとあらためて思います。
脊髄梗塞、という病気は私も初めて知りました。
「難病指定に道を開けるか、一緒にがんばりましょう」とよびかけました。
よびかけだけに終わらせるわけにいきません。
さあ、どうしようか、帰り道もまず何から、と考えるとやる気がむくむく!!
重度障碍児のお父さん、障害者自立支援法を廃止するため、何をしてくれるのか、と迫力の意見。
民主党を動かす決意で私ものぞまなければと思います。
職場の「パワハラ」や就職難で、心を病んだ若者。
日本共産党に出会って救われたと誠実に話をしてくれました。
みんなの気持ちを集め、そして政治を動かす力にする。
来年の参院選挙で勝利するためには、これまでにやったことのない規模で、やったことのない活動にもとりくまなければ!
決意がみなぎる「つどい」が、明日の力になることを確信しています。