日本共産党 田村智子
コラム

【09.11.18】東京での日本共産党演説会

2年半の思いをこめて緊張の演説

「最前列はこちら」というプラカード。すでに並び始めた人の列。
午後5時過ぎの文京シビックセンター入り口の光景です。
開会は午後7時なのに、2時間も前から来ていただくとは…

大きな会場で弁士として登壇するのは久しぶりです。
朝からの原稿を用意していましたが、準備しながらも何度も胸がいっぱいになってしまいました。
こうして東京の皆さんの前にもう一度立って、参議院選挙への決意を述べることができる、このことだけでも感慨ひとしおです。

2007年夏、参議院東京選挙区で議席に届かなかった悔しさ、
その後、多くの方々に励まされ支えられてきた日々。
国民の声は届けようと草の根から運動にとりくんだ日々。
今度こそ選挙に勝てる力をつけよう、と、共産党に入党していただく働きかけを都内各地ですすめてきたこと、
それら全部が胸のうちによびがえってくるのです。

控え室に入ってからも、原稿を何度も読み直しました。
10分という時間にどこまで自分の決意、思いを表現できるか…。

小池あきら参院議員、小池さんの応援にと駆けつけてくださった坂本修弁護士、
8月の総選挙で議席をしっかり獲得した笠井亮衆院議員、
次々と弁士のみなさんが到着して、なごやかな会話も聞こえるなか、私は原稿に集中してしまいました。
緊張していたんですね、やっぱり。

控え室に世田谷の里吉ゆみ区議会議員が訪ねてきました。
「この方は入党して1年たたないんですが、衆議院選挙でとてもがんばってくれたんです」
その女性はMさん、2年前だったでしょうか、私も入党のはたらきかけをした方です。

秘書時代に一緒に仕事をしたM君のお母さん。
「考え方はほんとに一致できるけれど、でも入党はできません」
あの時はかたくなな表情をされていたことを思い出します。
今、目の前には、晴れやかな笑顔のMさん。

「断っていたときのことが嘘のように、気持ちがすっきりしませんでしたか?」と私。
「ええ、本当にそうでした」

気持ちが晴れやかになって、舞台に向かいました。
一番初めの弁士、というのは、どうも苦手です。会場の雰囲気をつくるのには、私はむいてないようにも思えて…。

大きな、本当に大きな拍手に迎えられて舞台にあがりました。
知り合いの顔を客席に見ることができれば、気持ちが落ち着いている、という証拠。
ところが、ライトがあんまり明るくて、顔がちっともわからないのです。

それでも目の前にあの人、この人、出会った多くの人がいる、そう思い描きながら話を始めました。
前々日の神奈川県での基地めぐりの様子もまじえ、「基地の街を、憲法九条の街に」とよびかけ、くらしの切実な要求を胸に刻んできた思いを伝え「その声を、政治に届けさせてほしい」と心からよびかけました。
議席を得られなかった悔しさは、代弁者として政治の場で直接働くことのできなかった悔しさです。

思いは届いたでしょうか。
会場を和ませたり、笑いをよんだり、そういう演説にはできなかったのですが、
それは小池あきら参院議員にお任せしました。
国会永田町病院のお医者さん、政治の膿を出し、確かな薬の処方で立ち直らせる、小池さんの国会活動は、日本の政治を動かす大きな力でした。
私も舞台袖で聞きながら、何度も大きくうなずきました。

そして志位和夫委員長の演説。
新政権のもとでの日本共産党のがんばりが、生々しく伝わります。
そして、与党=自民党、だから自民党とつながるしかない、という「おもし」が取れたとき、保守的といわれる団体が大きく変化している様子も。

激動とは、今の時代をいうのでしょう。
5年後、2009年、20010年を振り返ったとき、その激動をあらためて実感することになる予感がします。
そのとき、「あの時がんばって、この新しい政治への扉が開かれた」と言えるかどうか。

ステージで花束を受け取り、歓声と拍手にこたえながら、「必勝」の文字を胸に深く刻みました。