日本共産党 田村智子
コラム

【09.11.16】基地の隣にあったのは…学校そして保育園

神奈川での米軍基地めぐり

「1日ではまわりきれないんだよな」とガイド兼運転手の鈴木和弘さん。
神奈川平和委員会の方ですが、基地をなくそうという立場の軍事アナリストとして全国でも有名な方です。

朝9時半、京急仲木戸駅に集合。まずは横浜ノースドッグに向かいました。
ここは米軍の物資を陸揚げする軍港。この軍港の目の前に村雨橋という交差点があります。
ベトナム戦争に戦車を送るなと、座り込みが行なわれた場所です。

戦車の目の前にひるがえる民青同盟の旗、座り込みの人の波、この写真をはじめて見たのは20代の頃。
戦車の出航をとめたという記載に、震えるほどの感動を抱いたこと、はっきり覚えています。

村雨橋から海よりある「瑞穂橋」、橋の手前に「立ち入り禁止」のものものしい看板が掲げられています。
米軍に接収されていたのです。この橋と続く道路は今年日本に返還されたはずだ、この看板はとりはずすべきだとの説明に、基地返還のたたかいが日常的にとりくまれているのが神奈川なのだと実感。

写真の私の足元の小さな看板に米軍基地であることを示す内容が書かれています。
私の隣は、はたの君枝さんです。

 

昼近く、横須賀港に到着。
「演習で空母もでかけていて、いつもと比べるとがらがらだな」とのこと。
それでも、自衛隊の黒一色の潜水艦、灰色一色の軍艦が並ぶ光景は異様です。

民間の観光案内「軍港めぐり」で港の半分ほどをまわりました。
原子力空母ジョージワシントンが寄港していれば、東京タワーの高さと同じデッキの船が圧倒的な大きさで港を埋めることになります。

港のすぐそばには高層マンション含む住宅地。
空母の母港になったということは、ここに原子力発電所をつくったのと同じことです。

自衛隊の「護衛艦」も「護衛」とは名ばかりで魚雷を発射できる装備をいくつも持っているとのこと。
米軍と一体化して、なにを守るのか・・・

 

さらに厚木基地へ。
ここも演習に出かけていて米軍戦闘機の姿はほとんどありませんでした。
基地の滑走路の手前は公園、そこで子どもたちが元気に遊んでいます。
自衛隊のプロペラ機がタッチ&ゴーを繰り返す、子どもたちの頭上を低く飛ぶ自衛隊機。

基地の資料をみると無数の墜落事故が厚木基地周辺で起きていたことがわかります。
基地の騒音から周辺の土地は公園にするしかない、しかし、もしものときには公園に集う市民が犠牲になる、なんという矛盾でしょう。

周辺の公園がどんどん整備されているのは基地対策費として国からの交付金が潤沢におりてくるから。
それでも基地を撤去して、市民のための土地利用ができれば、こんな交付金をはるかにうわまわる大きな利益があることでしょう。
危険と隣り合わせの公園でいいのかと、子どものはしゃぐ声に考えざるを得ませんでした。

夕闇と追いかけっこで次に向かったのはキャンプ座間。
陸軍第一軍団の司令部がおかれています。
敷地の広大さは驚くばかり。最新鋭の情報装置が設置されて、世界中の軍事情報をここで掌握し、世界中の米軍の行動を指揮することができるのです。

広大な敷地には、ゴルフ場も設置されています。
ここからゴルフボールが周辺の学校に落ちてくる、ネットをもっと高くしてと、つい最近要請が行なわれたそうです。

どこに学校があるのかと、基地周辺をぐるりとまわると、まさにネットのすぐ横が学校、そして保育園!!
基地と子どもたちの生活空間が隣接していたのです。
これには一瞬絶句しました。

夕闇迫る中、最後に訪ねたのは相模原補給廠(ほきゅうしょう)。
戦車の修理も行なう場所。当然訓練も行なわれます。
この敷地もあまりに広大。
周辺をまわるには、いったん東京の町田市に入らなければなりません。
相模原駅のすぐ横に広がるこの敷地が、町の発展をさまたげていることは明らかです。

畑野君江さんも同行した赤旗記者さんも、基地については熟知していて、何度も基地を視察し、基地返還や米軍再編に抗する運動に参加してきたことがよくわかりました。

私もこの地の代表として国会に行かなければ、と思いを熱くしました。
国会議員として基地の中に入らなければ、そして新たな現実をつかみ、知らせ、基地の役割を厳しく問いかけなければ。

原子力空母の危険性、戦闘機墜落の危険性、「殺人」訓練をしている兵士と隣接する危険性、神奈川のみなさんの現実を胸に深く刻む一日でした。