日本共産党 田村智子
コラム

【09.07.31】葛飾のTさんのお通夜に参列

寄せられた1票の思いをかみしめました

私たち夫婦が葛飾に住み始めた頃、地域の共産党の活動をともにした方が86歳で他界されました。
斎場には、ともに都議会議員選挙をたたかった方々の顔も次々に並びました。

告示直前のある日の街頭宣伝は、Tさんの家のまん前でした。
体調を崩されて入院、前日に退院したとのこと。
「今、やすんでいるところ」とのことで、お顔をみることができませんでした。

病状は一進一退だったそうです。
「都議選の期日前投票ができる日まで入院はしない」と気力を保ち、告示翌日に、1票を投じたその足で病院へ。
そうご様子をお聞きして、胸がつまりました。

私が出会ったときには、もう70歳を超える頃。
耳は遠いけれど元気にハンドマイクをかついで宣伝していた姿が鮮明に思い出されます。
宣伝の後には、お酒を飲むのを楽しみにして、
若い頃のレッドパージの話など、豪快に語っておられました。

シルバーパス有料化が狙われたとき、ご自分のシルバーパスを誇らしげに示して、「これがあれば気軽に出かけることができる」と有料化反対の運動の先頭にたっていました。

葛飾での都議選挙は、突然の候補者交代で立候補したために、
葛飾の党や後援会のみなさんと心を通わせ、たくさんお話して、困難を切り拓いて、という活動が充分にできなかったことが心残りです。
Tさんのお通夜に参列して、あらためて、一緒に選挙をたたかったみなさんの姿を想像し、思い描くことがえがくことができました。

田村智子のチラシを短期間に大量に配り、出遅れを取り戻そうと、懸命の奮闘がありました。
交代の事情を説明し、お詫びし、どうか田村へとよびかける、
街頭演説に初めて友達をさそって足を運んでくださる、
たくさんの「初めて」があり、たくさんの地を這うような活動があったことと思います。

街頭で演説するときに、満面の笑顔で拍手し、時に涙をふいて聞き入り、熱く固く握手を交わしたみなさんの姿は、私の胸にしっかりと焼き付いています。

Tさんの少し若い笑顔の写真に、Tさんだけでなく、たくさんのご支援いただいたみなさんへの思いをこめて、深々と礼をしました。