日本共産党 田村智子
コラム

【09.05.19】突然ですが都議会をめざします

これまでのご支援、ありがとうございました

午後4時半からの記者会見は、葛飾区議会の委員会室の一室をお借りしました。
緊張で口がかわくのは、3年前に都庁で参議院選挙への出馬記者会見をしたときのようです。

葛飾区では、和泉なおみさんが、1年数ヶ月にわたって今年7月の都議会議員選挙をめざして活動していました。
その役目を私が受け継ぐことになったのです。

和泉さんは埼玉県三郷市に家族が住んでいます。
なおみさんは、葛飾区内に半年以上も前に一戸建ての家を借りて生活もしてきました。
しかし定期的に三郷市の家に戻る、という場合、
公職選挙法では、住民票が葛飾区にあっても居住地は三郷市とみなされ、選挙権・被選挙権を有しないことがわかったのです。

公職選挙法がとても厳格に「住居」を定めていることを、私も、今回のことで初めて知りました。
外部からの指摘を受けたわけではありません。
しかし、法律に照らして問題があるとわかっていて、そのまま立候補をするわけにはいかない、それが日本共産党の立場です。

こうした経過を詳しく聞き、私が葛飾区から都議を目指すことを要請されたのは、16日土曜日の夕方でした。
選挙の告示は7月3日、この困難な状況をのりこえる力を私が発揮できるのならばと、
国政への道を断って、都議会をめざす決断をしました。

国会議員の秘書になってから、国政候補者を何度か経験し、
国の政治を変える最前線に、という思いは、時とともに強く大きなものになっていました。
とりわけ、07年の参院選挙で、戦後守り続けてきた参議院東京選挙区での日本共産党の議席を失ってから、
雪辱をはたそう、私の手で議席を取り戻そうと活動をしてきただけに、
その道を断つことは、心の痛みをともないました。
東京中で応援していただいた方々の顔が、何人も何人もうかびました。

けれど、今年の都議選挙、そして総選挙は、歴史の分岐点にもなりうるのです。
日本共産党が議席をのばして、新しい政治への確かな一歩をどうしても歩みださなければならないのです。

前回議席を失った葛飾区で、私が議席に届く可能性が一番近い位置にいるならば
(もちろん相当ながんばりで、その可能性をつかまなければならないのですが)
受けて立とうと決意しました。

決心してから考えてみると、私はこの数ヶ月、「都政をどうしても動かしたい」と思いを強めていたことが、あらためてみえてきました。
街頭相談で、住まいを失った人たちに何人も出会いました。
空腹から街で拾ったゴミを口にしていた人、所持金がつきて絶望の淵にいた人、
がんばって日雇い派遣で働き続けても、野宿やネットカフェ、サウナを点々とするしかない人、
ところが政治は手を差し伸べるどころか、まるで「邪魔者扱い」しているのが現実でした。

東京都が本気で動けば、住まいの確保、自立の支援はもっともっとできるはずなのに!
それは住まいのことだけではありません。
子育て、介護、医療、中小零細業者への支援等々、
本当にすぐにでももっとも苦しい立場の方々に「大丈夫、がんばりましょう」と、具体的に手を差し伸べることができるのです。

来年まで待たずに、これだけ苦しい悲鳴が、声なき声があがっているときだから、
すぐに政治を動かすことが、私に求められているのだと思えてきます。

わずか1ヶ月半ほどの活動で議席を獲得することは、生半可なことではできないでしょう。
でも、絶対に負けるわけにはいきません。

和泉なおみさんの悔しい思いも、尽きることはないでしょう。
和泉さんの奮闘や、ご支援いただいたみなさんの思いを決して無駄にしないためにも、
政治を変える確かな道を切り開くためにも、
そして、私自身が政治家として歩み続けていくためにも、
必勝を期してがんばりぬきます。

みなさんのたくさんのご支援に心から感謝をこめて
田村智子