日本共産党 田村智子
コラム

【09.03.04】緊急一時保護センターを視察しました

「百聞は一見にしかず」、現場から出発しよう!

雨が降り出しそうな午後、訪ねたのは公的な緊急一時保護センターの一つ「荒川寮」。
私の家から近いこともあり、車で何度も通ったことのある場所でしたが、存在には全く気がついていませんでした。

第一印象は、清楚な建物。
入り口に受付の部屋、そして下駄箱が並びます。
かつて東京の各地にあった「青年の家」をこじんまりとさせたような印象です。

「雑居部屋」「南京虫もでる」という情報だけで考えていたのとは違いました。
百聞は一見にしかず、肝に銘じました。
(視察したのはここだけなので、全部の施設を確認できれば、という気持ちです)

2段ベッドが4台の8人部屋、空いている部屋がないので見ることはできませんでした。
廊下から様子をみたのは食堂兼娯楽室。
10名ほどの入所者の方が、テレビをみたり、将棋をしたり。
静かにゆっくり時間が過ぎている、そんな空間でした。

お風呂も、ちょうどお湯をはっているところ。
浴槽が二つあって、差し湯は自由。シャワーは5〜6ヶ所だったでしょうか。
やっぱり「青年の家」を思い出します。
入浴時間は4時〜8時、かつての「青年の家」より長いでしょうか。

入所するとすぐに、下着・靴下・タオル・歯磨き洗顔ひげそりセット・スリッパが支給され、
一日一回、「たばこ1箱&インスタントコーヒー1杯分」か「インスタントコーヒー&お菓子」のセットをどちらか支給するそうです。
食事も3食支給ですが、調理施設がないため仕出し弁当。
外出はできるが門限は5時。外泊や飲酒は禁止。

住居と仕事を失ってしまい、所持金も底をつく、そういう方が緊急に一時的に入所できるならば、利用価値の高い施設だと私には思えます。
もちろん、できることなら個室で、個人のロッカーがあればもっといいのですが。

昨年12月から年齢層が若くなっているようです。
これまでは、日雇いで建設業などで働いていた方が、50歳を過ぎて身体がきつくて働けなくなり路上生活になってしまう、そのごく一部の方が、センターに入所という例が多かったとか。
それが、昨年秋以降、「派遣切り」の影響が出始めているのです。

この施設が「緊急」かつ「一時」という本来の役割を発揮するためには、いくつもの問題があることもわかりました。
「緊急」に入所して、健康診断を受けて、心も落ち着けて、就労の情報や講習を受けて、問題は次のステップの不十分さです。

就労活動や実際に住所をおいて働くこともできる「自立支援センター」がいっぱい。
病気やなんらかの支援が必要な方が暮らす「更生施設」(名称がよくないと思うのですが)もいっぱい。
そのため「一時的」入所になりにくい。

可能な人は、短期的であっても生活保護を受けてアパートなどに転居する、
あるいは、働く意欲も力もある人が、当面の生活費のなんらかの補助をうけて、低家賃の居宅に転居する、
こういう選択肢を早急につくっていかなければならいのでは、と思えます。

もう一つ、私物を管理室に預け(事故を防ぐため)、働いてはダメという対応です。
これは、つい先日まで働いて自活していた人の誇りを傷つけないか。
日雇い派遣で、現に「生き抜いてきた」人の「誇り」を踏みつけることにはならないか。

運営している方々は、入所者の方を決して見下してはいないと思います。
しかし、行政が決めた規則が、当事者の方の思いを傷つけることはありうるのです。

「働ける人には住宅支援は必要ない」、長年の行政の認識を根本から改めるときを迎えています。
低賃金で不安定な働き方を作り出してしまった政治の責任が問われているのです。

施設が増設されないのは予算の問題だけでは、こういう施設をどうとらえるか、という私たちの意識の問題もあると感じました。
東京23区に5箇所ある緊急一時施設、5年で施設の場所を動かすことになっています。
「地域住民のみなさんとの約束です」という説明。

「やっかいな施設」という思いが生まれやすい。ここをどう考えるか。
自分の家の隣にできたら…仮定の話ですが、帰り道そんなことを考えていました。
色々な人生を受け入れられる町になれたら、きっと地域の力は深いところで養われるでしょう。
つまづいた人を支えられる優しさを持つことになるでしょう。
そこまでの話し合いが地域のなかでできるかどうか。

視察を準備してくださった台東区議の杉山さん、
急な日程にも関わらず(しかも肋骨を負傷していたにも関わらず)同行してくれた東京2区の予定候補、中島つかねさん、
多忙ななか、急な視察に丁寧な案内をしてくださった施設関係者の方々に、心から感謝します。