日本共産党 田村智子
コラム

【09.02.09】晩ご飯の用意を「ながめる」

夕方に家族がそろうのは久しぶり

土日に夫婦して「仕事」という日が続きがちな我が家。
お正月の休み以降、あわただしい日々が続いていて、ちょっと気になっていました。

「今日は早めに帰れるぞ」と夕方6時前に帰宅。
「今日は休み」だった夫に、晩ご飯の仕度は「譲り」、私は持ち帰り仕事へ。
それも終わって居間にいくと、家族4人がそろいました。

娘の宿題の音読を、息子と二人で聞いて(兄のちょっかいに怒ったり、笑ったりの音読でしたが)、新聞でも読もうかとのんびりしていると・・・。
「おっかあ、体操やるよ。まねして」と、娘のはりきった声。

体がとっても柔らかい娘にあわせて、にわか柔軟体操となりました。
「脚を開いて」「無理」「じゃあ、開いたつもりで」「痛い〜」
いつのまにかこんなに体が固くなったんだ、とまさに痛感しました。

晩ご飯の用意を任せるのは、どうも落ち着きません。
ここが男女平等を実践する難しさ。「用意させて悪いな」という気持ちがちらちらしてしまうのです。
でも出来上がったおかずをみると、任せてよかったと思います。
手作りミニコロッケにミニメンチ。私はここまでやりません。

「おっとうの方が料理が上手」と言われるのは、時間をかけて丁寧につくる父親と、忙しいなかでぱっぱとすませる母親の違い、と思いたい・・・。
私が作ると「何がメインディッシュなの?」と聞かれることがしばしば。

それに揚げ物は片付けも面倒で・・・。
夫の揚げ物の片付けは私がやるので、これも男女平等を貫いていないのかしら。
いえいえ、私が揚げ物をしたときに片付けてもらえばいいのでしょう。

でもやらないんですよね、揚げ物。
私は煮物中心になってしまって、「今日のおかずはみんな、醤油と砂糖とみりんの味付けだぞ」と思うことも。

のんびりしたおかげで、とりとめのないおしゃべりも楽しめました。
こんな日がなければ、心が疲れてしまうでしょう。
昨晩「うつ病」と向き合う家族を取材した番組を見ました。
全てのゆとりを奪うような働き方がどれほど深く人間を傷つけるか!

一生懸命がんばったら、のんびり、ゆったりの時間を持つ。
その大切さを夕刻のひと時にしみじみ味わいました。